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女満別神社 (北海道〈オホーツク〉大空町女満別)

参拝日 令和4年6月11日(土)
作成日 令和5年9月24日(日)
よみ  めまんべつ じんじゃ
概要  北海道オホーツク総合振興局管内大空町に鎮座する。明治45年頃、女満別の地に天照大神を祀り創建。現鎮座地には昭和55年に遷座した。  
所在地 〈オホーツク管内〉大空町女満別公園二丁目2-1
  北緯 43度55分5.25秒
  東経144度10分49.80秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 グーグルマップ(ズームレベル14)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
 
HP等 北海道神社庁 北海道の神社 女満別神社
祭神  天照大御神 (あまてらすおおみかみ)
由緒  旧社格 村社

 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒 明治四十五年頃、アイヌの祭祀所と思われる処に、約半坪の神殿を建立、天照大神を祀り、本村の氏神として奉祀した。大正六年野火の延焼により、神殿を焼失、大正八年八月村民あげて西三条四丁目五に、神殿・拝殿・社務所を建立した。大正十五年村社に昇格。神社が町の中心に鎮座していることは、町民にとって便利であったが、都市計画上から移転問題が持上がり、昭和五十五年、女満別公園に移転し現在に至る。
雑記  最寄駅は石北本線の女満別駅で、当社から西南西へ0.8kmのところにある。池田駅から野付牛駅(現北見駅)までは明治44年に開業してゐたのが大正元年に網走駅まで延伸開業(当時の線名は網走線)した。
 町役場は、当社から南西乃至南南西へ0.9km余の、当社現在地への遷座前の旧地に近い所にある。

 遷座前の旧地は、現在地から南南西へ1.0kmの辺り。戦後、市街地が南の第二美幌(みほろ)航空基地跡地へ拡大して行き、当社が市街地内に取込まれた形になってゐた。(大正13年測図、昭和23年米軍の航空写真、昭和52年国土地理院の航空写真等)
 平成4年開所のボッシュ(株)女満別テクニカルセンターのテストコースは、第二美幌航空基地跡地の一部(第一滑走路(南北の滑走路)だった所。戦後、美幌航空基地は米軍に接収されたが、昭和33年までに返還され、女満別空港の滑走路となり、同空港は、昭和60年には現在地に新女満別空港として新設移転した。

境内にある石碑の碑文
 橋爪九十太翁之碑(横書)
 本町創成期の明治38年、女満別駅逓経営の為、本庁に入った橋爪九十太氏は眼下に網走湖を見渡すこの丘に、氏の故郷信州の諏訪大社分神を祭り、巨木の森に桜、楓などを補植、周りの低地には養鯉池を設けて一帯を園地とした。これは一般人にも開放していたので何時の頃からか橋爪公園と呼ばれ人々の憩いの場として親しまれて来た。尚池の稚魚は時に湖に放流されしと云う
 後年この地は町立女満別公園となり、また氏らが創建に尽せし女満別神社も昭和55年ここに移転し今日に至っている。
 氏は未開地の困難な開発及び駅逓運営をチョウ夫人と当ると共に当時の村政、教育、宗教の振興等各分野に亘り、先駆者として本町の基盤作りに多大の貢献をされた。
    平成9年10月
       女満別町長 宇野勝男

 開拓記念碑
碑文  明治二十三年山田慎マッチ軸造材に来往を初めとし植民区画の設定と鉄道開通により開拓著しく進み大正十年網走町より分村した 昭和十四年一級村昇格 昭和二十六年町制度施行 今人口一万七百四十二人農耕地七千町歩を擁する農村に進展しここに開基七十年 開村四十年記念式を行うに当り先輩開拓の勤功を讃え一圓融合理想郷建設を期して本碑を建つ
   昭和三十五年九月七日
女満別町長 安田重雄 書

 当社の前の道路を挟んだ向かう側に石碑がある。 
 女満別公園跡地 の碑
女満別公園跡地

 北海道の開拓が始り、女満別にも多くの開拓者が入り、物資の輸送のため道路が整備された。明治三十五年(一九〇二)には網走陸別間の県道着工と共に、女満別駅逓が設置され、明治三十八年(一九〇五)に駅逓取扱人の橋爪九十太(はしづめくつた)氏が宿業と人馬継立業を営んだ。
 また、橋爪九十太氏は自己の社詞諏訪神社を建立し、その周辺に花樹を植え、低地には養鯉池を設けてこの辺り一帯を園地とした。これを一般にも公開していたので、訪れる人々の憩いの場となり、いつの頃か「橋爪公園」(後の女満別公園)と呼ばれ親しまれてきました。
 開拓当時から女満別町となる礎を気づかれた橋爪九十太氏の功績を讃えるとともに、ゆかりあるこの地に女満別公園の碑を建立する。
「橋爪公園」のその後を知りたかったが判らなかった。行政区として「女満別公園」の名はあるが、公園そのものは大空町webやgoogle検索しても女満別神社の碑文以上の情報は得られなかった。近くには公衆トイレや駐車場があるので散策できるのかも知れない。大空町webの年表には駅逓設置の記載無い(*)し、橋爪九十太氏の名も見当らなかった。
 * 「広報おおぞら 創刊号」(平成18年)には駅逓設置が主な歴史の一つとして記載あり


女満別について(2)
 女満別町は平成18年に東藻琴村と合併し、大空町となってゐる。
  • 人口等  人口 令和2年国勢調査:女満別地区 4651名 東藻琴地区 2124名
         面積 女満別地区 159km2 東藻琴地区 184km2 
  • 産業  農業(麦・馬鈴薯・甜菜・水稲)・漁業(網走湖)
  • 沿革
    • 明治5年 アバシリ村・ノトロ村・モヨロ村他が成立
    • 明治23年 マッチ軸木用材伐採のため和人が住始めた(女満別の開基)
    • 明治24年 中央道路開通(旭川〜網走間)
    • 明治35年 能取村と最寄村が合併し能取村が発足
    • 大正元年 女満別駅開業
    • 大正4年 網走町・藻琴村と合併し、網走町大字網走村となる
    • 大正10年 網走町から大字網走村、大字最寄村の各一部が分村し女満別村が発足
    • 昭和10年 航空機による流氷観測開始(農業にとって重要事)
    • 昭和11年 大字を各行政字に再編
              大字網走村:女満別市街を含む地域
              大字最寄村:本郷・住吉・豊里・高野
    • 昭和26年 町制施行
    • 昭和31年 女満別〜丘珠間の不定期便運行開始(昭和47年から定期運行)
    • 昭和55年 女満別〜羽田間運行開始(YS-11、2時間40分)
    • 昭和60年 新女満別空港開港でジェット機就航
    • 平成18年 女満別町と東藻琴村が新設合併し、大空町となった。
  • 女満別の神社 国土地理院地図で神社記号のある所は、神社庁包括下にある当社と豊住神社を除くと女満別地区(元の女満別町域)には2箇所ある。(3) 

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 鳥居は昭和五十五年七月吉日の年記と建立者の名がある
 社号標には昭和五十五年五月五日の年記と責任役員五名の氏名が刻まれてゐる
 鳥居に隠れてゐるが、石段改修工事の碑があり、平成十四年八月吉日の年記がある。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 参道
 ゆるく右へ曲ってゐる。二の鳥居が見えてゐる。

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 二の鳥居

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿正面

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿 斜め前

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 社殿 側面

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 拝殿内

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 境内
 植栽はよく手入れされてゐる
 狛犬は昭和四年五月の年記がある
 手水舎には分村記念・氏子中と刻まれた石鉢がある(分村は大正10年)

御朱印
御朱印 拡大 (664×960)
 


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.575
  2. 令和5年9月18〜20日閲覧 女満別の神社の項を除いて、以下のサイトを参考に適宜引用した。
    ・大空町webサイトの
    大空町の年表
    ・ウィキペディアの網走郡
    ・ウィキペディアの女満別町
    ・ウィキペディアの大空町
    ・ウィキペディアの網走市
  3. 大空町発足前の女満別町域を対象に、国土地理院地図で神社記号のある神社についてグーグルマップにより社名や社殿の確認を行った
     女満別の神社
     社名   (地名) 緯度・経度            備考
     海陽神社 (海陽) 43度48分55.08秒 144度14分04.40秒 ─
     湖南神社 (湖南) 43度56分29.34秒 144度11分42.67秒 ─

改訂記録
  • 令和06.01.23 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)
  •  〃    27 配置再修正

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