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烈々布神社 (北海道札幌市東区)
参拝日 令和元年5月25日(金)
作成日 令和2年6月27日(土) 追記日 令和6年3月22日(金) |
れつれっぷ じんじゃ
| 札幌市市東区北42条東10丁目1番地 (43度6分45.30秒 141度21分32.99秒)
| 地図:地理院地図(ズームレベル15) いつもNAVI(ズームレベル13) 参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等
| ・北海道神社庁 北海道の神社 烈々布神社
| ・Wikipedia:烈々布神社 祭神
| 天照大神(あまてらすおおかみ)
| 少彦名神(すくなひこなのかみ) 大穴牟遲神(おおなむちのかみ) 倉稲魂神(うがのみたまのかみ) 埴安姫神(はにやすひめのかみ) 誉田別尊(ほんたわけのみこと) 崇徳天皇(すとくてんのう) 菅原道真公(すがわらのみちざねこう) 藤原三吉命(ふじわらのみよしのみこと) 元 無格社
| 北海道神社庁誌には次のやうに載ってゐる(1)。
境内に碑があり、道路側には祭神名、境内側には由緒が刻まれてゐる。由緒は次の様。
境内に「神社地之祉」と刻まれた古い碑があり、碑文は次の通。大正十二年の遷座に際して旧地に建てた碑を、訳があって現在地に移したのだらうか。
雑記
| 地下鉄東豊線栄町駅から西へ0.7kmのところにある。札幌駅からは北ないし北北東へ5.0km。
| 社殿の修理中であった。
札幌村について(4) (札幌村神社でも同じ事を記すかも知れない) 札幌村は慶応二年に大友亀太郎が十二人を伴ひ役宅をたてて村を開いたといふ。明治三年に九十六人が札幌村の近くに居住し、これが札幌新村で、元の札幌村は札幌元村とされ、翌年合併し札幌村となった。明治三十五年には札幌村、雁来村、苗穂村、丘珠村をあわせて札幌村とした。大友は、創成川の基となった大友堀をつくった。 一方、明治十二年札幌市街は札幌区(開拓使の行政区画)となり、明治三十二年地方自治体の札幌区に、大正十一年市制施行されてゐる。 札幌村の一部が段階的に札幌区または札幌市に編入され、昭和三十年には残る全域が札幌市に合併されてゐる。 烈々布はアイヌ語由来の地名で東区と北区にに跨る地域を指した名称で、公称地名としては消失してゐるといふ(5)。 本日は、札幌市内で鉄道と徒歩で行ける所として六社を選んで巡った。当社はその一社目。前年11月以来の半年ぶりの神社巡り。 |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) |
写真1 拡大 (1280×960) |
写真2 拡大 (1280×960) 社殿は改修中。 写真左側にある灯籠一対は脇参道に設置されてゐるもの |
写真3 社号標 平成元年七月吉日 清水俊雄 宮川新一 杉谷滋子 建立 台座には次のやうに刻まれてゐる 昭和三十四年十二月 先代 清水作造 宮川新太郎 杉谷次守 建之 社殿改築奉神徳慶 百年ニ再建ス |
御朱印 拡大 (1280×960) |
出典・脚注
改訂記録
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