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余市神社 (北海道〈後志〉余市町富沢町)

作成日 令和元年12月28日
よみ  よいち じんじゃ 地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km×南北270km
・当社は + の位置
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.90km の範囲の地図です
・東西 1.13 km×南北 0.90 km、
・本殿の位置に 印 を記入
参拝日  平成30年9月5日(水)
所在地 〈後志管内〉余市町富沢町14-4 (北緯43度12分54.41秒 東経140度46分15.71秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 余市神社
祭神  天照大神(あまてらすおおかみ)
 保食神(うけもちのかみ)
 大物主神(おおものぬしのかみ)
 大己貴神(おおなむちのかみ)
 少彦名神(すくなひこなのかみ)
由 緒  元 県社

 北海道神社庁誌には次のやうに載ってゐる(1)
由緒 安永二年(1773)松前平角が漁夫83名を率いて現山碓町に漁場を開設し、日頃尊崇する伏見稲荷の御分霊を山碓シリパ山麓に勧請して氏神とし山碓稲荷と称した。のち文政十年(1827)本町開発者林長左衛門も京都伏見稲荷の分霊を現浜中町湯殿山下に勧請し氏神とした。同社は明治八年郷社と公称し、同十六年山碓稲荷と合祀し現在地に移転した。明治四十四年八月余市神社と改称し、大正十二年五月現在の社殿が建築竣工すると翌十三年に県社に昇格した。昭和五十二年五月三十一日社殿が落成、同五十二年八月三十日創建百五十年祭並に造営奉祝祭を斎行、昭和六十三年社務所が改築落成した。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神 琴平神社・稲荷神社

 明治神社誌料には次のやうに載ってゐる(2)
北海道後志國余市郡余市町大字富澤町字尻場山
郷社  稲荷神社
祭神  保食神
当社は、是の地の舊家林長左衛門、伏見稲荷神社の分霊を勧請せしに創る、爾来當地の氏神として一郷の崇敬者たりしが、明治九年、郷社に列す、元と字濱中町(3)に鎮座あらせられ、曾て北海道志に「濱中村に在り」と注されしが、明治十六年二月、今の地に奉遷す、社殿は本殿、拝殿、其他社務所等あり、境内は二千五百坪(民有地第二種)○然として雲表に聳ゆる尻場山(3)の麓にあり、大なる社殿は、荒涼なる四面の風向と相俟ち、○者をして、一種の感想を惹起せしむ。
例祭日 七月十日
雑 記  函館本線余市駅から北北西へ4.0kmの所にある。

 石造物には、
 ・狛犬 平成二十一年十一月吉日建之、
 ・燈籠 大正四年六月建設 濱中町有志 
 ・手水鉢 明治廿貮年伍(?)月 願主 北海道後志國余市郡山碓町 氏名
   (氏名は水道管で隠れて読めず、他に八幡丸と読める文字あるので船主か?)

 余市町は、明治33年(1900年)7月1日、北海道一級町村制の施行により、浜中町、沢町、富沢町、中町、梅川町、琴平町、山臼(ママ)町、黒川村、山田村、畚部村(ふごっぺむら)、大川町、沖村の区域をもって余市町(一級町)が発足(4)

 神社巡り、四日目、最終日。
 昨日は、亀田八幡宮参拝の後、計画してゐた北海道東照宮は止めて、宿へ向った。台風21号が近づいてくるから、早く落着きたかった。120km余を走り、黒松内の宿に泊ったが、夜中には建物が揺れる程の風が吹き、怖さを感じた。
 明けて、宿を出る頃には雨はやみ、風も無かった。ニュースでは、鉄道は午後から運転、今日走行する国道は通行止などの情報無し。とは云へ、倒木は無いとしても、大きな枝は落ちてゐるかも知れないし落葉で滑るかも知れない、と注意して走ったが、結局、障害は無かった。
 87km走り、9時直前、当社着。参道には、小さな葉、実の付いた銀杏の葉などが沢山落ちてゐる。宮司さんに伺ったところ、大きな枝は除けたとのこと。早朝から、お疲れ様です。
 滞在20分ほどで、忍路神社へ出発。

 台風の被害については、11月に江別市や南空知の神社を巡った際に判ったが、大きな木が至る所で倒れ、風の被害は大きかった。鉄道も倒木のため、復旧は遅れた。

写 真

朝6:27、出発前。
台風21号の強風は去り、黒松内駅前の宿から虹が見えた。(当社から南西へ70余km)






出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.398
  2. 『府県郷社明治神社誌料』 明治四十五年刊 明治神社誌料編纂所編 上巻 北海道郷社之部 p.6
  3. 濱中町・尻場山:浜中町は余市川の左岸側、シリパ(尻場)山は当社北方の標高295mの山で、海側は崖で道は無い。山碓町は現在の港町、余市港を望む辺り
  4. 令和元年年12月2日閲覧  wikipedia 余市郡


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