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被官稲荷神社(東京都台東区浅草)

作成日 平成26年1月12日
よみ  ひかんいなりじんじゃ
所在地  台東区浅草2-3-1 (北緯35度42分54.5秒  東経139度47分51秒)
 地図:国土地理院ウオッちず(記号なし)  いつもNAVI(記号無し)
HP  浅草神社web内 被官稲荷神社
祭神  宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
由緒  浅草神社末社。
 区の案内板があり、次のやうに記されてゐる。
被官稲荷神社
台東区浅草二丁目三番一号

 安政元年(1854)新門辰五郎の妻女が重病で床に伏したとき、山城国(現、京都府南部)の伏見稲荷社に 祈願した。その効果があって病気全快、同二年、お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、小社を創建して 被官稲荷社と名付けた。名勝の由来は不詳だが、被官は「出世」と解せば良いという。
 辰五郎は上野寛永寺住職輪王寺宮の家来、町田仁右衛門の養子。本性は町田であった。輪王寺宮舜仁親王が浅草寺 伝法院に隠居し、上野へ行くのに便のいい新門を造った。その門の番を命じられたので、新門辰五郎を呼ばれた。辰五郎は 町火消十番組の組頭としても、多彩な活躍をした。
 社殿は一間社流造、杉皮葺。創建以来のもの。間口約1.5メートル、奥行約1.4メートルと小さいが、覆屋を構えて 保護している。覆屋は大正期の建築であろう。社前には、「安政二年九月立之 新門辰五郎」を刻む鳥居ほかがある。
 平成四年十一月
台東区教育委員会
参拝日  平成25年5月6日(月)
雑記  浅草神社社殿の北東側にある。浅草神社に行ったときに当社の存在は承知してゐたが、 御朱印を頂いたので、別にページを作成した。
 御朱印は、浅草神社の社務所で頂いた。


平成25年5月6日撮影

平成25年5月6日撮影

平成25年5月6日撮影

浅草神社で頂いた


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