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| 栃窪神社 (神奈川県秦野市栃窪)
参拝日 令和3年4月28日(水)
作成日 令和3年12月4日(土) 改訂日 令和6年2月22日(木) |
とちくぼじんじゃ
| 秦野市栃窪 301
| (35度21分37.38秒 139度11分13.22秒) 地図:地理院地図(ズームレベル15) マピオン(ズームレベル15) 参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等
| 神奈川県神社庁 神社情報 栃窪神社
| 祭神
| 倭建命 (やまとたけるのみこと)
| 境内の掲示には次の様に記されてゐる。
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神奈川県神社誌掲載の由緒沿革は、掲示の文章と同じとなってゐる(1)。 新編相模風土記稿には、記載を確認出来なかった。 雑記
| 小田急小田原線渋沢駅から南ないし南南東へ1.6kmの所にある。
| 集落から離れて、軽自動車で細い道を進んで行く。車のナビとともにgooglの地図を見てゐたが、途中から地図に道路がなくなってゐる。国土地理院の地図に切替えて等高線(地形)も見て道を選ぶ。進むのは良いが、行き詰って、バックで何百メートルも戻るのは厭だと思ひつつ進んだ。(でも、山北の高杉大神宮の経験に比べたら不安はかなり小さかった。) ゆっくり進んでゆくと、道幅が広く、階段が見えてホットした。神社だ。 参拝後の帰りは、階段前の僅かに広い所で何度も切り返しして、前進で戻ってこられた。社頭から車を除けたところで、引いた写真(遠景)も撮影しておけば良かった。無事切り返し出来た安心感からか、一社でも多く巡りたいとの思ひがあってか、気づけなかった。これは残念。 当地は、江戸末期は栃窪村(新編相模国風土記稿では「朽窪」と表記)で、その後、(2)(3) ・明治22年(1889)4月1日 - 町村制の施行により、栃窪村、篠窪村、柳村、高尾村、赤田村および大住郡渋沢村飛地が合併して発足。 山田村との町村組合が発足し、組合役場を大字篠窪に設置。 ・昭和21年(1946)11月3日 - 山田村と合併して相和村が発足。同日上中村廃止。 ・昭和26年(1951)6月20日 - 相和村の一部(大字栃窪)が中郡西秦野村に編入。 ・昭和30年(1955)上秦野村と合併して西秦野町に、昭和38年(1963)には秦野市に編入された。 |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) |
写真1 拡大 (1280×960) 社殿は、鳥居をくぐって右手にある。 |
写真2 拡大 (1280×960) 狛犬は昭和六十一年奉納、鳥居は「御社殿新築二十周年記念 平成八年十月吉日 関野 勇」とある。 |
写真3 拡大 (1280×960) 斜め前から見た社殿 |
写真4 拡大 (1280×960) 社殿前から鳥居方を望む 狛犬の台には「昭和六十一年九月吉日 栃窪共有地管理組合一同」とある。 |
写真5 拡大 (1280×960) 社殿側面 |
写真6 拡大 (960×1280) 社号標 表には小さく「正一位御嶽大権現社」とある。また、側面には「昭和五十二年四月二十四日御遷宮記念」「奉納一金壱阡八百八十五萬円也 社殿鳥居等建設資金 栃窪共有地管理組合」とある。 |
出典・脚注 改訂記録
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