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御嶽神社(神奈川県秦野市平沢)

作成日 平成23年9月25日
追記日 ────────
よみ  みたけ じんじゃ
所在地  秦野市平沢1223 (北緯35度22分13秒、東経139度12分32秒) (ゼンリン地図)
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 御嶽神社
祭神  日本武命 ( やまとたけるのみこと )
 大己貴命 ( おおなむちのみこと )
 少彦名命 ( すくなひこなのみこと )
 櫛真智命 ( くしまちのみこと )
由緒 南側の道路に面して大きな看板で、八坂神社と当社の由緒が掲示されてゐる。当社の所を転記する。
御嶽神社
祭  神 倭建之命 大己貴命 少名彦命 櫛真智命
境内社  金比羅八幡社(こんぴらはちまんしゃ) 山王稲荷天神山之神合祀社(さんのういなりてんじんやまのかみがっし)
由緒沿革 創立年歴は不詳だが、建久三年(1192)の頃より神社前の参道を御嶽道と称し、(その先を北条と言う。大化班田 条里の名を今も残す)平沢村の鎮守であった。境内には樹齢八百年あまりの大欅二本(秦野市文化財指定木)があり、明徳三年 (1392)四六貫五百文の当社家領が寄進されている。慶長十三年(1608)踊宮鈴張の地に家康公鷹狩の節当社に参拝、社殿の 改修を命じた。翌慶長十四年(1609)に改修、棟札に「奉修御嶽権現社壇事本願神主草山兵庫守、寺家分草山藤左ヱ門慶長十四年 酉年十一月吉日・・・・」とある。現在の本殿はその時のもので神職は白川家の配下であった。宝永八年(1711)二月十三日宗源宣旨 により正一位御嶽蔵王権現と称えられ(当社古文書)明治六年七月三日上地し、御嶽神社と改称、昭和九年幣帛料供進指定神社となる。 昭和五十一年五月三日本殿を除き全社殿を新築木造銅板葺とした。
 神社庁指定結婚式場は、明治十三年出雲大社国造千家尊福宮司と後の報徳二宮神社初代祠宮草山貞胤翁によって勧請され、大国主 之命を祭神とする大社造り神殿を式殿としている。この式殿は、貞胤翁より草山文之助翁に引続き、草山智義翁に引継がれ智義翁は、 片岡の信徒を初め多くの崇敬者の再建願望を自分の心とし再建に努力他界に際し、長男貞胤にその遺志を引継がせた。昭和四十七年 御嶽神社の隣接地に本殿を再建、昭和五十四年八月幣殿、拝殿、参集殿を同時起工昭和五十五年四月一日、神楽殿、神殿の遷宮式 並びに幣殿、拝殿、参集殿の竣工式を執行、後結婚式場は神奈川県神社庁の指定を受け現座に至る。
宮司 草山清和
連絡先 出雲大社相模分祠 (住所・電話番号 略)
参拝日 平成22年11月14日(日)
雑記 拝殿の中にはかつての社殿と思はれる写真が何枚か掲げられてゐたが、暗くてよくわからなかった。 


平成22年11月14日撮影

平成22年11月14日撮影
左奥に見へる建物は、八坂神社


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