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市杵島神社 (神奈川県藤沢市大庭)

参拝日 令和4年10月28日(金)
作成日 令和5年11月26日(日)
よみ  いちきしま じんじゃ
概要  市杵島神社は、神奈川県藤沢市大庭に鎮座してゐる。俗に鎮座は寛永年間(1624〜1644)で農民は窮乏のため神仏の力に縋らうと一祠を建立したと云ふ。昭和53年、市の区画整理事業に因り、熊野神社と共に、現在地に遷った。  
所在地  藤沢市大庭(おおば) 5429-3
  北緯 35度21分54.65秒
  東経139度27分05.50秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 グーグルマップ(ズームレベル14)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 市杵島神社
祭神  市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
由緒  『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創立年月不詳であるが、当神社の勧請について次のような話が伝えられている。
 この市杵島神社、俗に弁財天社の鎮座は寛永年間(1624〜1644)にさかのぼり、当時徳川三代将軍家光の治政下、水野十郎左衛門を総帥と仰ぐ所謂、白柄組の中堅幹部・加賀爪某は当部落を知行していたが、多年の遊興によりその財政が逼迫し、治下農民に苛斂誅求を加うるようになった。しかも当地を貫流する引地川の連年に亘る氾濫のため、米作は常に地区民の努力に報いる事無く、等しく窮乏の底に沈んだ。ここにおいて一同、もはや神仏の力にすがるほかなしとし、財福を司る弁財天を勧請し、常に洪水を宮居近くに臨み得る現在の地を卜し、ここに一祠を建立し崇敬した。その信仰の力と神徳によるものか連年凶作も減じ、領主の行状もいつしか改まって民に生色を蘇がえらせたという。昭和五十三年十月に社殿を造営し境内の整備を竣えた。

 『新編相模国風土記稿』の大庭村の条には「山王社」と名のみがある。鎮座地の小名も記されてをらず、当社なのか判断できない。(2)
雑記  最寄駅は、小田急線善行駅で東へ2.0kmの所にある。 
 市役所は、藤沢駅の近くで、南東へ4.6kmの所にある。

 写真8にある碑文の「藤沢市西部開発事業」とは「西部土地区画整理事業」で昭和46年から平成4年に亘って行はれた340ヘクタールを宅地や公園などの市街地化した事業(3)
 昭和20年代の地図(4)をみると、現在地から北ないし北北東へ290m程の所に神社記号があり、北谷の地名も記されてゐるので旧地かと思ふが、具体的情報は無い。いま、その地点は道路になってゐる。


大庭について(5)
  • 縄文時代前期の土器片、弥生時代中後期・奈良時代の集落跡が確認されてゐる
  • 平安時代は大庭郷の中心
  • 平安時代末期から室町時代は大庭御厨(伊勢神宮の荘園)の中心
  • 江戸時代は大庭村で折戸・稲荷・台・谷・入・小糸の小名があった
  • 明治22年、町村制施行で明治村大字大庭となった。
  • 明治41年、明治村、藤沢大坂町および鵠沼村が合併して、藤沢町となる
  • 昭和15年、市制施行し藤沢市となった
  • 昭和46年〜平成4年、西部土地区画整理事業により市街化

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 境内入口
 (熊野神社と共用)

写真2 写真2 拡大 (2000×375)
 (パノラマ)
 入口階段を登ると、正面やや左に当社(市杵島神社)が、右手には熊野神社が見える。

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 正面

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿 斜め前

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿 側面
 写真の奥には、熊野神社がある

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 社殿内の御本殿

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 鳥居を使った碑
 柱には「天保十三年寅正月」と刻まれてゐる。(天保13年:1842年)

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 落慶記念碑
 境内に入って右手にある。
 表には「熊野権現 市杵島神社 氏子」と、背面には39の氏名の他に次の文言が刻まれてゐる。
 藤沢市西部開発事業ニ伴ウ区画整理ニヨリ、熊野権現並ビニ市杵島神社ノ移転ヲ要請セラレタルニツキ 北ノ谷町内氏子一同一致協力 昭和五十三年十月九日、両社ヲ当地ニ併セ祭リ、新築シタルモノナリ。



出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.218-219
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之六十 大庭村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本に拠った)
  3. 令和5年11月24日閲覧 藤沢市web内 西部土地区画整理事業
  4. 令和5年11月24日閲覧 今昔マップ on the webのデータセット首都圏1944〜1954年 (サイトの管理人は谷謙二埼玉大学教授。2022年8月にお亡くなりになったと云ふ。参考:ウィキペディア 谷 謙二)
  5. 令和5年11月24日閲覧 ウィキペディア 大庭 (藤沢市)

改訂記録
  • 令和06.01.20 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)
  •  〃    26 配置再修正

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