由緒
神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)。
由緒沿革 勧請年月日は詳でないが、社前の手水石に「奉納熊野三社大権現文化十二年亥九月吉日」の刻銘が見え、又『田畑取調野帳』には「字丸山五八七八番熊野社境内三畝一六歩村持、同所五八八〇番山林一畝二八歩村持」の記載がある。昭和五十三年十月境内の整備、社殿の造営完了し、遷座祭を斎行した。
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なお、式内社の大庭神社旧跡と云はれてゐる熊野神社は、当社から南へ1.2kmの所にある。
| 雑記
| 最寄駅は、小田急線善行駅で東へ2.0kmの所にある。
市役所は、藤沢駅の近くで、南東へ4.6kmの所にある。
写真9にある碑文の「藤沢市西部開発事業」とは「西部土地区画整理事業」で昭和46年から平成4年に亘って行はれた340ヘクタールを宅地や公園などの市街地化した事業(2)。
【大庭】について(3)
- 縄文時代前期の土器片、弥生時代中後期・奈良時代の集落跡が確認されてゐる
- 平安時代は大庭郷の中心
- 平安時代末期から室町時代は大庭御厨(伊勢神宮の荘園)の中心
- 江戸時代は大庭村で折戸・稲荷・台・谷・入・小糸の小名があった
- 明治22年、町村制施行で明治村大字大庭となった。
- 明治41年、明治村、藤沢大坂町および鵠沼村が合併して、藤沢町となる
- 昭和15年、市制施行し藤沢市となった
- 昭和46年〜平成4年、西部土地区画整理事業により市街化
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