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熊野神社 (神奈川県藤沢市大庭)

参拝日 令和4年10月28日(金)
作成日 令和5年11月26日(日)
よみ  くまの じんじゃ
概要  当熊野神社は神奈川県藤沢市大庭に鎮座する。昭和53年、藤沢市の区画整理事業に因って、市杵島神社と共に、当地に遷った。  
所在地  藤沢市大庭 5429-2
  北緯 35度21分55.39秒 東経139度27分05.60秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 グーグルマップ(ズームレベル14)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 熊野神社
祭神  熊野久須比神(くまのくすひのかみ)
由緒  神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 勧請年月日は詳でないが、社前の手水石に「奉納熊野三社大権現文化十二年亥九月吉日」の刻銘が見え、又『田畑取調野帳』には「字丸山五八七八番熊野社境内三畝一六歩村持、同所五八八〇番山林一畝二八歩村持」の記載がある。昭和五十三年十月境内の整備、社殿の造営完了し、遷座祭を斎行した。
 なお、式内社の大庭神社旧跡と云はれてゐる熊野神社は、当社から南へ1.2kmの所にある。
雑記  最寄駅は、小田急線善行駅で東へ2.0kmの所にある。 
 市役所は、藤沢駅の近くで、南東へ4.6kmの所にある。

 写真9にある碑文の「藤沢市西部開発事業」とは「西部土地区画整理事業」で昭和46年から平成4年に亘って行はれた340ヘクタールを宅地や公園などの市街地化した事業(2)


【大庭】について(3)
  • 縄文時代前期の土器片、弥生時代中後期・奈良時代の集落跡が確認されてゐる
  • 平安時代は大庭郷の中心
  • 平安時代末期から室町時代は大庭御厨(伊勢神宮の荘園)の中心
  • 江戸時代は大庭村で折戸・稲荷・台・谷・入・小糸の小名があった
  • 明治22年、町村制施行で明治村大字大庭となった。
  • 明治41年、明治村、藤沢大坂町および鵠沼村が合併して、藤沢町となる
  • 昭和15年、市制施行し藤沢市となった
  • 昭和46年〜平成4年、西部土地区画整理事業により市街化

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 境内入口
 (市杵島神社と共用)

写真2 写真2 拡大 (2000×375)
 (パノラマ)
 入口階段を登ると、正面やや左に市杵島神社が、右手には当社熊野神社が見える。

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 土台の左角に文化十二年(1815)奉納の手水鉢が置かれてゐる。願主には当所に加へ、小糸村の方の名もある

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿 正面

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿 斜め前

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 社殿 側面

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 社殿内

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 社殿前から鳥居方を臨む
 市杵島神社が見えてゐる

写真9 写真9 拡大 (1280×960)
 鳥居を使った碑
 柱には「天保十三年寅正月」と刻まれてゐる。(天保13年:1842年)

御朱印 御朱印 拡大 (1280×960)
 落慶記念碑
 境内に入って右手にある。
 表には「熊野権現 市杵島神社 氏子」と、背面には39の氏名の他に次の文言が刻まれてゐる。
 藤沢市西部開発事業ニ伴ウ区画整理ニヨリ、熊野権現並ビニ市杵島神社ノ移転ヲ要請セラレタルニツキ 北ノ谷町内氏子一同一致協力 昭和五十三年十月九日、両社ヲ当地ニ併セ祭リ、新築シタルモノナリ。

出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.218
  2. 令和5年11月24日閲覧 藤沢市web内 西部土地区画整理事業
  3. 令和5年11月24日閲覧 ウィキペディア 大庭 (藤沢市)

改訂記録
  • 令和06.01.20 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)
  •  〃    25 配置再修正


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