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八幡宮(神奈川県相模原市南区磯部)

作成日 平成23年11月30日
追記日 ────────
よみ  はちまんぐう
所在地  相模原市南区磯部1388(北緯35度30分38秒、東経139度23分05秒)  ゼンリン地図
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 八幡宮
祭神  応神天皇 ( おうじんてんのう )
由緒  境内に碑がある。それには、
八幡宮由来碑
鎮座地  相模原市磯部1388番地
御祭神  応神天皇
末社   境内社 三社神 金刀比羅神社 山神社 疱瘡神社 稲荷神社
     境外社 厳島神社 社外地 不動堂
境内面積 1810平方メートル (547坪)
御神徳  国土安穏 家内安全
祭事   歳旦祭 例大祭 七五三祝外

 由来沿革 八幡社はもともと源氏の氏神でありますがこの社は古く創立年月日は不詳であります 延文元年(1356年)以前より 磯部村の鎮守として信仰厚く御神像として仏弥陀を奉斉しております この社を開いたのは鎌倉から来訪した山伏祐圓(延文二年 九月二十二日没)で別当は小田原玉瀧坊觸下の佛像院磯幡山神宮寺でありました 又文明十年三月(1478年)太田道灌勢により 陥落するまで磯部地内には城(城主長尾景春)がありました 享保十八年(1733年)七月十五日別当磯幡山神宮寺廿世仏像院快省 法印再建し毎年八月十五日に角行を興行にしておりました 当時の地頭は大津新右衛門で上下村勝坂氏子中と棟札に記されており ます 江戸初期の不動尊と寺社奉行宛古文書等推定樹齢五百年の銀杏が現存しております 当社では山伏の修験が行われ江戸時代 には沢山の家業繁昌厄除の護摩が焚かれ又この地域は大山詣りの宿場のため境内は非常に賑わったと伝へられます 当時は対岸の 依知山際等からも参拝があり特に火渡りの護摩が有名でありました 明治二年神仏混淆の禁止令により別当職が解かれ八幡大神と 称しました 明治六年太政官布告により官有地第一種に編入され同年十二月磯部村村社に指定されました 明治二十六年の神社明 細書には氏子数(上磯部下磯部勝坂)で229戸と記してあります 明治四十年境外地(山林)は神社風致林として宮内省御料局より 払下げを受けました 大正十二年三月老朽に伴い氏子の奉賛により社殿を新改築いたしました 昭和十年九月二十七日新磯村の総 鎮守として指定村社に列せられ法律の施行により昭和二十八年七月宗教法人となりました 昭和五十七年十月東京電力株式会社の 送電線神社用地上空通過に伴う神社補償料にて御社殿末社鳥居石段手水舎等の改築整備を建設委員会を設置して行い昭和六十年四 月竣工致しました 先人の築いた長い由緒を持つ地域の氏神様として郷土の繁栄と健康で永遠に平和で豊かな生活が出来ますよう 厚いご加護があるものと祈願いたします
  昭和六十年四月吉日 
参拝日  平成23年2月6日(日)
雑記  先の石盾尾神社参拝の時でさへ暗くなりかけてゐたのが、厳島神社を経て ここまで来たときには16時15分を回ってゐてはっきり暗くなってきた。
 いくつもの境内社が丁寧に祀られてゐる。
 横切ってゐる道路は、交通量は多い。


平成23年2月6日撮影
 奥に見える階段は境内を横切る道路を越える歩道橋

平成23年2月6日撮影
 いったん平地に降り、この階段を登ると社殿がある

平成23年2月6日撮影

平成23年2月6日撮影
江戸時代初期に制作されたと思はれる不動明王
高さ57.5cm
平成13年市指定有形文化財
神主により例祭が斎行されてゐる


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