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若宮八幡宮(神奈川県大和市福田)

作成日 平成24年8月14日
追記日 ────────
よみ  わかみやはちまんぐう
所在地  大和市福田509ー1 (北緯35度25分56.5秒  東経139度27分23.9秒)
  国土地理院ウオッちず  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 若宮八幡宮
祭神  仁徳天皇
由緒  境内の由緒書(掲示板)には次のやうにある。
一、御社名 宗教法人若宮八幡宮
一、御祭神 仁徳天皇
一、鎮座地 大和市福田509番地
一、境内地 463坪

由緒書
明治二十四年十二月十五日の宮総代人某氏宅の火災に依り保存せし若宮八幡宮の重要書類も悉く焼失に見舞われた  今は亡き古老の證明する所であり神社の創建等詳細不明である
新編相模風土記稿第三集(明治十八年五月三十日刊行)によれば地頭中根氏に依り元禄十一年再興の棟札ありと記され 又此の神社には第十五代応神天皇の皇子大鶴鷯尊即ち第十六代仁徳天皇と伝えられる御神像が祭られている、よって若宮 八幡宮といふ
衣冠束帯腰に太刀を佩き棒状の持物を両手に持った像高23.2cmの座像である 上畳裏の銘文に延享三年二月吉日江戸の 仏師法橋助教が像を作り文化九年に吉見兵部が修理をしたことが墨書されている所から察するに奉祀のはじめは相当に古い ものとうかがえる 丁寧に安置され守護神としてありがたく崇めております
     平成四年四月吉日建之

 大和市が市史編纂に当って市内神社の総代を集めての座談会「市内の神社─座談会─(昭和55年7月収録)」の資料部分より (総代は関水重雄氏)
創立年代は不詳であるが、田中八幡宮(正八幡宮)の若宮と考えてよいのではなかろうか。この 神社を祀る根下ケ谷部落の開発は、田中八幡宮を祀る代官庭部落(南善ケ谷)と同時期と考えら れるので、多少時代が下るとしてもはぼ同じ経過をたどって来たものと思われる。社殿内に仁徳 天皇像と伝えられる御神像が祀られている。衣冠束帯、腰に太刀を佩き、棒状の持物を両手で持 つ座像である。上畳座裏の銘文(当誌第2 号)によると延享3(1746)年2 月吉日に江戸仏師法橋 助教が造像し、文化9(1812)年8 月に吉見兵部が修理していることがわかる。社殿は元禄11 (1698)年再興の棟札があったと『相模風土記稿』にあり、石段元文3(1738)年6 月、梵鐘寛保2 (1742)年2 月、常夜燈寛政3(1797)年正月建立の銘がある。梵鐘は戦時中昭和18 年12 月8 日供出されたが銘文が残っている。
(中略)
この銘文によれば地頭中根氏の霊夢によって神社が建立されたことになる。 大正12 年社殿など震災で損傷をうけたが修復されて現在に至っている。境内は小高い場所に あり氏子の家々を見おろせる位置で、参道は石段になっている。この地域も開発が進んでいるが まだ村の鎮守の様相が残っている閑静なお宮である。

参拝日  平成23年10月9日(日)
雑記  小田急線高座渋谷駅から西へ800mほど、引地川を越えてから(右岸)は150m 程の所にある。先の神明社からは南南東に300m程の所にある。下福田小学校の北西角辺りから北へ参道があり 社殿のあるところまで登ると、小学校の校庭がよく見へる。この日は運動会を催してゐた。
 境内には猿田彦大神の碑(天保十二年)、大東亜戦争従軍者若宮戦友会が昭和五十七年に奉納した平和記念碑がある。


平成23年10月9日撮影

平成23年10月9日撮影

平成23年10月9日撮影 覆殿の中の本殿


・上畳  あげだたみ。畳の上に置いた畳。貴人の座所、寝床とした。
・佩き  はき と読む。掲示板には異体字を使用してゐた。
・延享三年 1746年 八代将軍吉宗が家重に将軍の座を譲ったのが延享二年


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