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貴船神社(京都府京都市左京区)

  
参拝日 令和2年10月29日(木)
作成日 令和3年3月27日(土)
改訂日 令和6年3月5日(火)
 
よみ  きふね じんじゃ  
所在地  京都府京都市左京区鞍馬貴船(きぶね)町180
  (35度7分19.66秒 135度45分46.12秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.7km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.7 km × 南北 1.3 km、
印:本殿の位置 ・社名を追記(紫色)
・上図は原寸大を80%に縮小表示
HP等  Wikipedia:貴船神社
 当社 HP
祭神  本宮 高龗神(たかおかみのかみ)
 結社 磐長姫命(いわながひめのみこと)
 奥宮 高龗神(たかおかみのかみ)
  一説には
   闇龗神(くらおかみのかみ)
   玉依姫命(たまよりひめのみこと)
  も祀られてゐると伝はる
由緒  別表神社、元 官幣中社

以下はWikipedia 貴船神社の要約
  • 創建年代不詳、社伝では18代反正天皇の時代
  • 社伝によれは、神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祭ったのに始まると伝へてゐる。社名の由来は「黄船」によるものとし、奥宮境内にある「御船型石」が、玉依姫命が乗ってきた船が小石に覆はれたものと伝へる。
  • 白鳳6年(666年)に、最も古い社殿造替の記録がある。
  • 永承元年(1046年)7月、出水により社殿が流失し、天喜3年(1055年)、現在の本宮の地に社殿を再建・遷座して、元の鎮座地は奥宮とした。
  • 江戸時代までは、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社とされ、賀茂別雷命も祭神としてゐた。
雑記  叡山電鉄鞍馬線の貴船口駅から北へ1.7kmにある。バスの便がある。

 地図は大きなものを載せた。鎮座地が、貴船川が造った貴船山と鞍馬山の間の谷に鎮座してゐるのが判ると良いと思ったので。 取立てて平地といへる所も無く、当社も狭い地に鎮座してゐる。中宮・奥宮とあるのも平地の狭さ故かと想像する。
 時節柄、観光客は少なかったものと思ふ。自然を感じるには人は少ないに超したことは無い、さりながら、経済の面では困ったことだ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

本宮社頭

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

社殿への階段

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

本宮社殿

平成19年改築されてゐる。

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

本宮社殿 側面
写真5
写真5 拡大 (1280×960)

中宮(結社(ゆいのやしろ)) 正面

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

中宮 側面

舟形の自然石は平成8年に奉納された。

写真7
写真7 拡大 (1280×960)

奥宮

人一人が立ってゐる所の石積みは、「御船形石で玉依姫御料の黄船を一目を忌みて小石で蔽ったと伝ふ」と云ふ。
紫式部がお参りしたのは、こちら、奥宮。

写真8
写真8 拡大 (1280×461)

奥宮

社殿の下には龍穴があると云ふ。社殿に向って右側の権地(ごんち)は、社殿建替への時こちらに移して工事を行ふと云ひ、近くでは平成23年に行はれた。

御朱印 本社
御朱印 本社拡大 (640×960)

御朱印 奥宮
御朱印 奥宮 拡大 (640×457)


出典・脚注
  1.  ─

改訂記録
  • 令和06.03.05 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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