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聖徳神社 (北海道〈胆振〉苫小牧市高丘)

参拝日 令和2年10月18日(日)
作成日 令和3年5月15日(土)
追記日 令和6年3月6日(水)
よみ  ─  
所在地  〈胆振管内〉苫小牧市高丘 6-158 (42度39分37.08秒 141度36分21.65秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭神  聖徳太子
由緒  境内の掲示には次の様に記されてゐる。
宗教法人樽前山神社末社 聖徳神社ご由緒

御祭神 聖徳太子(名 厩戸皇子(うまやどおおじ)
御神徳 (略 約300字)
聖徳神社の沿革
 明治四十一年十一月 聖徳太子碑建立
 大正 十四年 一月 苫小牧太子会発足
 昭和  二年 十月 苫小牧太子堂建立(*)
 昭和  七年 三月 苫小牧聖徳太子奉賛会に名称変更
 昭和 四十年 一月 宗教法人聖徳神社に名称変更
 平成  八年 十月 宗教法人樽前山神社境内に新社殿建立御遷座
 平成 十二年 五月 宗教法人聖徳神社を解散
 平成 十二年 五月 宗教法人樽前山神社末社聖徳神社に名称変更
よってこの神社は苫小牧建設協会有志を主体とする奉賛会が維持運営を行うものである。
年間祭事
 二月二十二日  新年祭
 九月第一土曜日 例大祭宵宮祭
 九月第一日曜日 例大祭本祭
 * 記念誌(1)によると、十月一〜二日に太子堂落成式兼入仏式が行はれた。

 移転の経緯は、『聖徳神社 聖徳太子堂建立七十周年 宗教法人設立三十周年記念誌』(1)によると(抜粋・編集)次の様。
移転の経緯
・市の道路事業計画で小公園とするため
・建物の老朽化
・借地料 平成8年度32万余円で負担大
旧地 真宗寺の北50m辺り。(地図上ではここ(地理院地図))
 建立時は中村捨次郎氏が無償提供されてゐた。氏は昭和15年に亡くなられた。昭和38年8月まで無償提供は実行されてゐたが人手に渡り、のち市に寄付されたため、市から借りてゐた。因みに賃貸費は、569平方メートルを月額22760円、3年契約(昭和59年4月時)。
移転の決定 平成8年5月の役員会で、移転先は樽前山神社境内地、本殿のみで新築すること、で承認された。

 苫小牧市史には、次の様に載ってゐる(2)
聖徳神社
 大正十四年一月、土木建築に関連する建設業者が、聖徳太子を教祖として敬仰し太子講をもったのに始まる。
 明治四十一年、王子製紙工場建設にともない、建設工事者達は、聖徳太子碑を建立して太子奉賛の志を表した。(当初は出雲神社にあった)その後、一時衰微したが、昭和二年十月に聖徳太子を奉祀する殿堂として苫小牧太子堂を現在地の幸町に建立した。爾来建設業者が主催して毎年一回太子祭と称する報恩祭を、また毎月二十二日の太子昇天日に月例集会をもち精神修養につとめ、社会に対しての相愛扶助のよき奉仕をなしている。
 敗戦後も昭和四十年一月、宗教法人聖徳神社設立の認証を道庁よりうけ、聖徳太子憲法一七条および明治天皇の『教育勅語』を日常生活の指針として社会人の心の浄化につとめている。"

 苫小牧周辺の神社調査報告(昭和44年)(3)によると、次の様。
聖徳神社
所在地 苫小牧市幸町24番地
建立  大正14年1月24日
社各  なし
祭神  聖徳太子
祭日  毎年2月22日を祈年祭
    9月21〜22日を本祭
宮司  樽前山神社より来る、代表として竹本良氏(*1)
その他 (沿革、祭りの内容、作られた目的)
 我国の文化、特に建設関係業者の教祖とする聖徳太子奉賛の1304年の伝統をもつ。尚祭日は聖徳太子昇天の日であり旧暦による、現在の4月22日にあたる。
 目的としては、和の精神を高揚し家庭の平和孝幸を祈り事業の繁栄安全を祈願。
 *1 記念誌(1)によると、初代代表責任役員は「竹本良吉」氏。

 地理院地図を見ると、昭和30年測量のものでは寺院記号が、昭和58年修正のものでは神社記号が付されてゐる。
雑記  苫小牧市高丘に鎮座する樽前山神社の境内、南東端に鎮座する。

 苫小牧中央図書館で調べ物してゐたら、市史には聖徳神社があり、記念誌まで作られてゐた。西高郷土史研究部による報告は、調べた文書の中で最も古いもので、それにも取上げ、調べられてゐた。
 昨年10月、久しぶりに樽前山神社参拝した折、当社の場所を巫女さんに教へてもらひ参拝できた。
 現在は、樽前山神社の境内社となってゐるが、相応の由緒があるので独立したページに記載することにした。
 
 記念誌(1)によると、次の奉納物があると云ふ。
 ・聖徳太子官衣着用御立像 檜造御木造 村岡久作 作 昭和四年二月二十二日奉安祭祀
 ・聖徳太子御画像 絹本彩色本表装 田中朴山 画 大正十四年一月 中村捨次郎寄贈

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

写真2 境内
写真2 拡大 (1280×960)

境内

写真3 社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真4 聖徳太子碑
写真4 拡大 (1280×960)

聖徳太子碑
碑面には「明治四十一年 聖徳太子碑 十一月三日」とあり、碑背には読取りにくいが「井上千代 時代」とある。

苫小牧市史(4)には「出雲神社は明治四十三年、神教使として来苫(中略)同四十五年五月十五日に竣工した」「神教使井上千代は出雲大社に出仕して神道について修め、苫小牧のみならず、隣村近郷にも尊崇の的となっていた」とある。また、出雲神社境内には「聖徳太子紀念碑」(当碑のことか)があった、と云ふ。

写真5 手水舎
写真5 拡大 (1280×960)

手水舎


出典・脚注
  1. 『聖徳神社 聖徳太子堂建立七十周年 宗教法人設立三十周年記念誌』 宗教法人聖徳神社奉賛会記念誌発行委員会編 平成八年五月二十四日発行
  2. 『苫小牧市史 下巻』 高倉新一郎監修 昭和51年(1976)  p.867
  3. 「苫小牧周辺の神社調査報告」 苫小牧西高校郷土史研究部 昭和44年10月30日
  4. 『苫小牧市史 下巻』 高倉新一郎監修 昭和51年(1976)  p.862

改訂記録
  • 令和06.03.06 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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