よみ
かわゆ じんじゃ
| 概要
| 北海道釧路総合振興局管内弟子屈町川湯温泉に鎮座する。部落の守護と温泉守護を願って村社弟子屈神社の御分霊を、後に官幣大社札幌神社(現北海道神宮)の御分霊を祀る。
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所在地
| 〈釧路管内〉弟子屈町(てしかがちょう)川湯温泉3-2-45
北緯 43度38分19.77秒
東経144度26分10.74秒
地理院地図(ズームレベル15)
グーグルマップ(ズームレベル14)
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地図
| 参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
・東西290km 南北270km
・+印:当社位置
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・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
・○印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
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HP等
| 北海道神社庁 北海道の神社 川湯神社
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祭神
| 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
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由緒
旧社格 該当なし(未公認社)
境内の碑には次の様に刻まれてゐる(横書)
ご 由 緒
北海道川上郡弟子屈町川湯温泉3丁目2番45号
川湯温泉
明治20年に青森県より浅野清治氏が、この川湯温泉に移り住み小社殿を建立し守護を願ったのが川湯神社の起源です。
その後、年を追う毎に人口が増え昭和10年頃には川湯温泉の町並みは形成され、そのうえに広がりさえ感じられるようになりました。
昭和10年に、時の神主村上健六氏と氏子総代五月女十次郎氏を中心に有志が集まり部落の守護と温泉守護とを願うべく、この地に小社殿を建立し村札の弟子屈神社より、天照皇大神・豊受姫大神の二柱を受賜り、川湯温泉の守護神として奉祀されました。
戦後(第二次大戦)の敗戦で大変な昭和20年10月に、弟子屈原野に北海道開拓を守護すべく奉祀されていた大国魂大神・大己貴大神・少名彦大神の三柱を川湯温泉の温泉守護・開発(創意工夫)・往来安全・商売繁盛・五穀豊穣・招福・縁結等の守護神として、現在の北海道神宮 (2)より受賜り、先の天照皇大神・豊受姫大神の二柱と合わせ五柱を川湯温泉の守護神として合祀され鎮座する処です。
現在、川湯温泉の守護神五柱が鎮座し奉祀される社殿は戦禍(第二次世界大戦)の昭和17年5月に、先の有志が先頭に立ち広く浄財を募り勢い善く建立されました。
神職村上健六・総代五月女十次郎氏の基に集った有志は次の方々です。
石井虎之進・小泉甚藏・三浦末松・高田喜一・根津文治・鈴木豊松・中村和一・西森輝義・佐々木源三・山口宗五郎・稲田梅次郎・鈴木幸七・麻生蕃夫・小林栄吉・田中国太郎・林筆次郎各氏です。
ご 神 木
一、樹名 ミズナラ
一、樹令 約300年以上
一、樹高 約21メートル
一、胸高直径 1メートル10センチメートルで幹周約4メートル
一、樹歴 イ、平成14年ご神木の再生をきし樹木医北見市鈴木順策氏により「こぶ病」及び「材質腐朽病」の処置を執り行った。
ロ、平成15年9月北海道より「記念保護自然樹木」の指定を受けた。
現在、ご神木は勢いを取り戻され、訪れる方々の「健康管理」及び住む者達の「健康維持・管理」を願い「不老長寿」のシンボルとして信仰を集めております。
平成28年8月18日の台風(3)により
倒壊し、現在ありません
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(碑背)
「川湯神社奉祀120周年記念事業 建立 平成18年7月吉日」とある。さらに歴代神職・歴代氏子総代(これらは建碑以降の追記が為されてゐる)、建碑時の宮司・総代・他役職者・氏子の氏名・浄財提供者が記されてゐる。
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北海道神社庁誌(平成11年)には次の様に載ってゐる。(4)
由緒 明治二十年創立。明治二十三年八月十一日宗教法人設立(5)。
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| 雑記
| 最寄駅は釧網本線川湯温泉駅で、当社から南南東へ3.0kmのところにある。当駅は昭和5年開業。網走─釧路間が全通したのは昭和6年。
町役場は、南へ17km(道程20km)の所で弟子屈市街(摩周駅(旧称弟子屈駅)近く)にある。
東藻琴神社を出たのは7:22で、藻琴山の東側山腹を通ってやってきた。最高地は650m程で東藻琴からは比高600mで車で通る分にはどうと云ふ事も無いが、下りでは急カーブに雨と濃霧(雲)でゆっくり走らざるをえなかった。50km走って8時過ぎに到着。川湯に着いたら雨はあがってゐた。
街中を通ったときには温泉客とみえる人がちらほら見えた。今年は、コロナ禍の自粛が終って、客は元に戻っただらうか。
【弟子屈町】について
- 人口等 人口:6657人(令和5年8月末) 面積:775km2
- 産業 観光と酪農。温泉と屈斜路湖・摩周湖がある。
- 沿革(6)
- 縄文時代の遺跡がある
- 松浦武四郎探検時 17戸のアイヌ居住
- 明治10年 硫黄山の硫黄採鉱(〜明治29年まで)
- 明治23年 最初の農民入植
- 明治30年 町内の大部分が御料林に指定
- 明治36年 熊牛村(後の標茶町)から分村し、弟子屈外一村戸長役場を設置
- 大正12年 弟子屈村(二級町村制)となる
- 昭和18年 一級町村制施行
- 昭和22年 町制施行
- 神社 町内には神社庁包括下の当社と弟子屈神社があり、地理院地図に神社記号は、他に4箇所ある。(7)
- 川湯温泉について(8)
- 明治19年 温泉宿開業(背景に硫黄山の盛業。間もなく荒廃)
- 明治23年 硫黄山に駅逓所開設
- 明治36年 浅野清次氏が川湯に入り、温泉宿開業(〜昭和初期まで、町史では川湯温泉の元祖とされる)
- 大正7〜9年 行商に来てゐた五月女十次郎氏が浅野氏の跡継に
- 昭和初期 旅館が多く建てられた(背景に、摩周湖・阿寒湖への道路開削、鉄道の開通、国立公園指定運動がある)
- 泉質は酸性が強く、循環するには機器の損耗が激しく、源泉掛流しとなってゐる。
- 「川湯」の由来は、アイヌ語の意訳の湯川が基で、函館に湯の川温泉があったので、順序を変へて「湯川」としたとされてゐる。
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