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勝山神社 (北海道〈オホーツク〉置戸町勝山)

参拝日 令和4年6月11日(土)
作成日 令和5年8月13日(日)
よみ  かつやま じんじゃ
概要  北海道オホーツク総合振興局管内置戸町勝山に鎮座する。
 大正元年徳島県羽浦村の八幡神社から農場の守護のために勧請した。
 昭和二十九年に神社庁包括下の社となった。現社殿は平成十二年に増改築された。  
所在地 〈オホーツク管内〉置戸町勝山157
  北緯 43度38分12.67秒
  東経143度30分17.66秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 グーグルマップ(ズームレベル14)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
 
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 勝山神社
祭神  誉田別命 (ほんだわけのみこと)
 足仲彦命 (たらしなかひこのみこと)
 息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)
由緒  旧社格 該当なし
 北海道神社庁誌(平成11年)には次の様に載ってゐる。(1)
由緒 勝山神社は 大正元年九月十四日、佐坂農場の持主であった佐坂竹太郎が開拓の鍬を入れるにあたり、無事息災祈願の社として、郷里徳島県羽浦村の八幡神社より御分霊をいただき、現在地に八幡神社として創祀したのが初めで、昭和二十九年に宗教法人勝山神社として当時の責任役員、総代が神社本庁に申請設立して現在に至る。その後境内地は地域住民の手により、年々桜、つつじ等が移植され、つつじが丘公園として花見を楽しむ行楽地となっていたが、近年桜の木も老木となり立枯れも目立ち、この地区の過疎化が進み氏子の力だけでは保全管理もできないために、昭和五十八年五月、勝山神社春季祭典の会議の中でこの境内地を置戸町に無償で譲渡して管理整備をしてもらうことに決議された。その後、北海道神社庁と責任役員・総代との話合いが持たれ、町との約束により、無料貸与して鎮守の杜の尊厳を維持し、公園として整備管理することとなった。

 置戸町史(昭和60年)には次の様に記されてゐる。(2)
 佐坂農場の持ち主であった佐坂竹太郎は、全地の成功付与許可を受けるには無事息災祈願の社が何よりも必要と、郷里の徳島県羽浦村大字中庄(3)鎮座の八幡神社から御分霊をいただき、現在地に八幡神社を創祀し、佐坂農場鎮護の社とした。ときに佐坂農場に最初の開墾の鍬がおろされてから四年後の、大正元 年(一九一二)九月一四日のことである。
 神社位置が農場から偏在していたことと、その後上置戸市街が次第に大きくなってきたことから、誰いうとなく昭和五・六年頃から上置戸神社と呼ぶようになり、鎮守の森として崇拝されてきた。昭和四年大雹害、同五年雑穀大暴落、同六、七年大凶作と、毎年のように農民は非運に遭遇したが、かえって住民の力が結集し、当時上置戸信用購買販売利用組合に加入していた氏子たちの自力更生の意志を結集して、今も残る立派な石段を寄贈した。
 同三〇年に青木武、町田清光、算兵次、中田常助、結城専治、大内弘、加藤伝蔵らの尽力によって、宗教法人としての正式神社設立を行い、社名も勝山神社と改めたが、同境内は地域住民の人々の手により、年々桜、つつじの移植が行われてきた結果、いまはつつじが丘公園として、春五月には遠く町外からも行楽の客が訪れにぎわいを見せている。
続置戸町史(平成21年)より(4)
 平成一二年、御社殿の老朽化に伴い、増改築奉賛会を設立し、同年一0月に奉祝祭、落成祝賀会が行われた。
雑記  最寄駅は石北本線留辺蕊駅で道程25km、公共交通機関を利用する場合は北見駅で道程は50kmほど。かつて、置戸に鉄道駅があった(明治44年〜平成18年)。 
 町役場は置戸にあり、道程8.5kmの所にある。勝山の郵便局で住民票等の交付がうけられる。

 直近の国勢調査での人口は、字勝山は142人、西に隣接の字常元は15人、北に隣接の安住は51人と、この人口でこの規模での神社維持は困難なのとはもっともだ。
 境内には、一間半×三間ほどの屋根と柱の建物がある。花見客のために用意したのだらうか。そこには、根本が朽ちた立て札がおかれてゐて、勝山小学校第○○回卒業記念と題して幾人かの氏名と日付がある。直近の物は2009年(平成21年)3月。平成23年に閉校。

【置戸町】について
  • 人口等
    • 人口:2645人(令和5年6月末、厚木市の1.2%)
    • 面積:527km2(厚木市の5.6倍)  
  • 産業  畑作・酪農・林業
  • 沿革
    • 明治41年(1908)  豊住地区の開基
    • 明治43年(1910)  秋田地区開基(雄物川の氾濫による水害難民が入植した)
    • 明治44年(1911)  鉄道開通(網走線、後、幾度かの線名改称)
    • 大正4年(1915)  野付牛村(現北見市)から分村し、置戸村となった。
    • 大正9年(1920)  訓子府村を分村
    • 昭和25年(1950)  町制施行
    • 平成18年(2006)  鉄道廃止(開通時は網走線、廃止時線名は、ふるさと銀河線)
  • 置戸町の神社  神社庁包括下の社は、置戸神社・勝山神社の二社がある。地理院地図にある神社記号の数は二社のほかに、6箇所(5)ある。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 石鳥居

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 参道
 写真右の碑は「石段寄附記念碑」

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿と灯籠

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿正面
 社殿は東向き。常呂川右岸に一段高いところにある。

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿 斜め前

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 社殿 側面

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 拝殿内

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 拝殿前から石段方を望む
 

御朱印
御朱印 拡大 (659×960)
 置戸神社で書置きを頂いた

御朱印
御朱印 拡大 (1323×960)
 


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.586
  2. 置戸町史 上巻(戦前編) 昭和六十年 置戸町史編纂委員会 p.800-801
  3. 徳島県羽浦村大字中庄は、現在の徳島県阿南市大字羽ノ浦町中庄(なかのしょう)地図(地理院地図)。大字羽ノ浦町中庄域に地理院地図の神社記号は無かった。
  4. 続置戸町史 平成二一年 置戸町史編さん委員会 p.942
  5. 置戸町内の神社  国土地理院の神社記号のある位置とグーグルマップによる社名などの確認結果。(神社庁包括下社を除く)
       
      社名  (住所) 位置       読み・コメント
    • 秋田神社*1(秋田)43度44分14.69秒 143度37分07.43秒
    • 豊住神社(豊住) 43度42分10.84秒 143度38分16.45秒 とよずみ
    • 不詳*2 (境野) 43度42分58.24秒 143度39分39.88秒 立派な神社
    • 春日神社(春日) 43度35分27.09秒 143度29分50.83秒
    • 不詳  (常元) 43度37分48.49秒 143度28分57.95秒 確認出来ず
    • 春日神社(常元) 43度37分12.36秒 143度26分25.20秒 確認出来ず
       *1 北海道神社庁誌(平成11年)のp.1076には社名は秋田統一神社、秋田神社に昭和55年に十五社を合祀、とある
       *2 町史の記述から、境野神社とみられる

改訂記録
  • 令和06.01.28 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)

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