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雨竜神社 (北海道〈空知〉雨竜町)
参拝日 平成30年9月3日(月)
作成日 令和元年10月6日(日) 追記日 令和6年4月1日(月) |
うりゅう じんじゃ
| 〈空知管内〉雨竜町字満寿32番地 (北緯43度38分27.12秒 東経141度53分2.08秒)
| 地図:地理院地図 いつもNAVI 参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等
| 北海道神社庁 北海道の神社 雨竜神社
| 祭 神
| 祭神 天照皇大神 應神天皇
| 配祀 蜂須賀家政 松平康長 元 郷社
| 北海道神社庁誌には次のやうに載ってゐる(1)。
境内には50年ほど前に書かれたとみられる「由緒記」が掲示されてゐるが、文字がかすれて判読出来ない部分がある。読取れて上記由緒を補足となる事項を抜粋する。
雑 記
| 函館本線江部乙駅から西北西へ5.5kmの所にある。雨竜町は石狩川・雨竜川の右岸の平地から暑寒別岳(標高1492m)にかけて位置し、標高800m余の所に湿原がある。
| 9月2日からの道内別表神社三社他の神社巡り二日目で、妹背牛神社に続いて当社参拝、本日12社目。 着いたのは、16時40分頃で日没が近づいてきたところ。 雨竜町は、明治25年に雨竜村が設置され、明治32年に北竜村(現在の北竜町・沼田町・幌加内町)が分離し、大正4年二級町村制施行、昭和36年町制施行されてゐる。 嘗て、鉄道は札沼線が石狩沼田駅まで通ってゐたが、昭和47年に新十津川駅から石狩沼田駅までの35kmが廃止された。当社の北北東0.8kmには雨竜駅があった。 由緒欄で抜粋引用した「由緒記」は、いつ頃書かれたものか知りたく、「雨龍町長松実○三謹書」を頼りに調べたら、町長の氏名は松実菱三で明治37年新十津川で生れ、昭和48年没、昭和22年から同33年まで倶知安町長、昭和38年から三期雨竜町長を務めてゐる。尚、祖父は十津川村からの大移住団の副頭取を務めた松実漏器(本名富之進)。(2) 由緒記が書かれたのは、50年ほど前とみられる。今は、表面は保護されてゐるものの、かすれるのも仕方ないか。 17時、当社を出発した。当初計画は、あと二社ないし三社参拝の計画だったが既に2時間半の遅れがある。宿泊地苫小牧市のホテルへ約140kmを走らなければならない。更に、明日は400km走る計画になってゐるので充分な休息を取らなくてはいけない。といふ訳で本日の神社巡り・参拝はこれで切上げることにした。 ところが、11kmほど走ったところで、出雲神社の案内板が見えた。出雲大社新十津川分院で思はず、寄ってしまった。 |
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出典・脚注
改訂記録
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