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雨竜神社 (北海道〈空知〉雨竜町)

参拝日 平成30年9月3日(月)
作成日 令和元年10月6日(日)
追記日 令和6年4月1日(月)
よみ  うりゅう じんじゃ  
所在地 〈空知管内〉雨竜町字満寿32番地 (北緯43度38分27.12秒 東経141度53分2.08秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 雨竜神社
祭 神  祭神 天照皇大神 應神天皇
 配祀 蜂須賀家政 松平康長
由 緒  元 郷社
 北海道神社庁誌には次のやうに載ってゐる(1)
由緒 雨竜神社は、開拓の初期明治二十二年組合華族農場設立に発し、その後蜂須賀農場の移住氏が協議し、蜂須賀農場中興の祖家政侯を祭神とする徳島県徳島市鎮座の県社・国端彦神社の御分霊を明治二十九年九月二十七日境内地に奉遷し、蜂須賀農場守護神として祭儀を執り行ったのが本社の創祀である。明治三十四年四月四日公認を得て、更には大正四年主神を天照皇大神とし、又戸田農場の戸田家中興の祖松平康長侯を増祀し、当時の村社雨竜神社と改称され大正十四年に郷社に昇格され今日に至っている。

 境内には50年ほど前に書かれたとみられる「由緒記」が掲示されてゐるが、文字がかすれて判読出来ない部分がある。読取れて上記由緒を補足となる事項を抜粋する。
  • 祭神 天照皇大神 應神天皇、配祀 蜂須賀家政 松平康長
  • 明治三十四年公認時の社号は国端彦神社
  • 戸田康長の氏神八幡神社合併
  • 二級町村制施行年(大正四年)に雨龍神社と改称
  • 大正六年村社に列せられた
雑 記  函館本線江部乙駅から西北西へ5.5kmの所にある。雨竜町は石狩川・雨竜川の右岸の平地から暑寒別岳(標高1492m)にかけて位置し、標高800m余の所に湿原がある。

9月2日からの道内別表神社三社他の神社巡り二日目で、妹背牛神社に続いて当社参拝、本日12社目。
 着いたのは、16時40分頃で日没が近づいてきたところ。

 雨竜町は、明治25年に雨竜村が設置され、明治32年に北竜村(現在の北竜町・沼田町・幌加内町)が分離し、大正4年二級町村制施行、昭和36年町制施行されてゐる。
 嘗て、鉄道は札沼線が石狩沼田駅まで通ってゐたが、昭和47年に新十津川駅から石狩沼田駅までの35kmが廃止された。当社の北北東0.8kmには雨竜駅があった。

 由緒欄で抜粋引用した「由緒記」は、いつ頃書かれたものか知りたく、「雨龍町長松実○三謹書」を頼りに調べたら、町長の氏名は松実菱三で明治37年新十津川で生れ、昭和48年没、昭和22年から同33年まで倶知安町長、昭和38年から三期雨竜町長を務めてゐる。尚、祖父は十津川村からの大移住団の副頭取を務めた松実漏器(本名富之進)。(2)
 由緒記が書かれたのは、50年ほど前とみられる。今は、表面は保護されてゐるものの、かすれるのも仕方ないか。

 17時、当社を出発した。当初計画は、あと二社ないし三社参拝の計画だったが既に2時間半の遅れがある。宿泊地苫小牧市のホテルへ約140kmを走らなければならない。更に、明日は400km走る計画になってゐるので充分な休息を取らなくてはいけない。といふ訳で本日の神社巡り・参拝はこれで切上げることにした。
 ところが、11kmほど走ったところで、出雲神社の案内板が見えた。出雲大社新十津川分院で思はず、寄ってしまった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4


写真5  忠魂碑(大正9年建設、昭和51年改修)、別途、明治38年から昭和28年に至る140名余の氏名を記した「雨竜町戦没者顕彰之碑」(平成十三年建立)がある


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.485・486
  2.  令和元年9月30日閲覧 北海道マガジン「カイ」 羊蹄山麓の昭和史-3 風土と交わる人が、新しい価値を生む

改訂記録
  • 令和06.04.01 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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