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作成日 平成24年7月8日 |
追記日 ──────── |
よみ | こま じんじゃ | |
日高市新堀833 (北緯35度53分54.7秒 東経139度19分21.5秒)
国土地理院ウオッちず いつもNAVI | ||
HP | 高麗神社 Wikipedia | |
祭神 | 高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)(主祭神)
猿田彦命(さるたひこのみこと) 武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと) | |
由緒 | 県社、別表神社
境内の案内板には次のやうにある。
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参拝日 | 平成23年10月1日(日) | |
雑記 |
関係する歴史を調べてみた。 高麗(通称高句麗)は、鴨緑江中流域で建国し、後に平壌に都を置いた。建国700年後に唐と新羅により滅ぼされた(668年)。 このとき、日本との関係は友好的であり、亡命してきた者がゐた。 一地域に集めて安住させることとして、716年に武蔵国に高麗郡が建郡され、1799人が移住した。 後に朝鮮半島を統一(936年)した高麗とは全く別と思ふが、高麗史では高句麗の大族の末裔による建国としてゐるといふ 事なので縁はあるといふことか。 若光は高麗の使節として来日したが、帰国できず、都にとどまり大宝三年(703年)王(こきし)の性を賜ってゐる。高麗郡の 統治を任された。 高麗神社は、若光が晩年白髭をたくはへたことから白髭明神と別名があり、各地の白髭神社は御分霊だといふ。 江戸時代の高麗郡には白髭神社が二十七社あったといふから尤もと思ふ。 ただ、百済系の白髭神社もあるから、全国レベルでは名前だけでは即断できないやうだ。 若光は大磯の高来(たかく)神社近くの海岸に上陸し、伊勢原の日向(ひなた)(白髯神社がある)に一時住み、高麗に至った。 隣に聖天院があるが、いまは交流がない模様。 【時代背景】 乙巳の変(中臣鎌足(藤原)首謀、645年) →孝徳天皇即位(645年)と大化の改新 →中大兄皇子が飛鳥遷都(653年) →斉明天皇即位 →白村江の戦(百済支援、663年)で敗北 →近江遷都(667年) →天智天皇即位(668年) →大海人皇子吉野隠棲(671年) →壬申の乱(天武天皇元年(672年)) →天武天皇の皇親政治 →天武崩御と持統天皇の即位(686年) →藤原氏の台頭 →平城京遷都(710年) 多くの著名人が参拝している。総理大臣になった人も何人かゐる。韓国大使や同国の要職にあった方の名もあった。 太宰治の名前が目に付いた。調べてみると昭和18年に「阿佐ヶ谷会」のメンバーとともに訪れてゐた。小説に加へ、 手紙も読んでゐるが記憶になかった。 |
平成23年10月1日撮影 扁額には「大宮大明神」 | 平成23年10月1日撮影 神門 |
平成23年10月1日日撮影 拝殿 |
・ひげの漢字には、髭(くち)、鬚(あご)、髯(ほほ)がある
・H29.11 リンク追加(高来神社、日向(白髯)神社) |