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作成日 平成21年8月30日 |
追記日 ──────── |
よみ | くまの じんじゃ |
厚木市市愛甲字宮添795番地 (北緯35度25分19秒、東経139度20分41秒) | |
HP | ─ 神奈川県神社庁 神社詳細:熊野神社 |
祭神 | 伊弉冊之命 ( いざなみのみこと )
四方津事解男之命 ( よもつことさかのおのみこと ) 速玉男之命 ( はやたまおのみこと ) |
由緒 | 旧愛甲村の鎮守。
境内の掲示板によると、(縦書き) 由緒 ○鎌倉時代の初めには「熊野神社」として鎮座 藤原清俊という人物が「熊野山領相模国愛甲庄」他をその母親から譲り受ける 「厚木市史 中世資料編」の資料に、「還元元年(1243年)七月二十八日付で鎌倉幕府は、熊野山領相模国 愛甲庄その他の土地を、母親鶴熊から藤原清俊という人へ譲り渡すことを認める」という内容の文書がある。 つまりこの愛甲の地は還元元年(1243年)以前に「熊野山領」になっていたことになる。「熊野山領」とは紀 州熊野権現に寄進された領地ということであり、その領地であれば当然熊野権現が祭られていたことになる。 (中略) ○今にのこる南北朝期の石灯籠 (中略) ○天正十九年、徳川家康より社領四石を賜る (中略) ○江戸時代は本山修験宝蔵院が別当として管理 (中略) ○古くから、信仰の中心として鎮座 以上のように当社の由緒は文書の上では鎌倉時代の初めか平安時代の終わり頃までさかのぼることになる。し かし、もちろんそれよりはるか以前から当地に鎮座していたことは確かであろう。 神社の立地する場所は台地の先端であり、すぐ下には旧玉川の流れがあった。古くから台地は人間が安全に豊 かに暮らすに都合の良い場所であり、その上水も近いとなればこれは本当に住みよい土地である。神社の周りの 畑地からはしばしば土器の破片が掘り出されていることはそのことを裏付ける証拠である。 このように古代の人々の豊かに暮らすその中心として、古くから多くの信仰を集めていたに違いない。 |
参拝日 | 平成20年12月6日(土) |
雑記 | この日は、自宅から自転車で、熊野神社(愛甲)、明神社(愛甲)、高森神社、
高部屋神社、御嶽神社(かさ神さま)を訪問してきた。
玉川は、元は平塚市の花水川と合流してゐたが、洪水防止のため改修し流路がかはり(昭和21年完工)、今は、恩曽川と合流
して市内戸田付近で相模川に流れ込んでゐる。
神社へは南東側から緩い登り坂を行くので台地とは意識しがたいが、神社の北西側は急斜面で下に旧玉川が流れてゐた。
今は潅漑用に使はれてゐるやうだ。新玉川はさらに北東300メートルほどの所を西南西方向に流れてゐる。旧玉川は南へ向きを変へ、
平塚市に入ってゐる。
恩曽川との合流地点には大相模水神社がある。隣に建つ銅像は相模川右岸の灌漑に尽力された石井平氏 (昭和63年没)の銅像が建ってゐる。何かの縁だらうか。 |
平成20年12月6日撮影 | 平成20年12月6日撮影 |
平成21年4月6日撮影 |