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作成日 平成21年9月23日 |
追記日5 令和5年1月7日 |
よみ | あつぎ じんじゃ | |
厚木市厚木町3-8 (北緯35度26分35秒、東経139度22分13秒) 国土地理院ウオッちず いつもNAVI | ||
HP | ─ 神奈川県神社庁 神社詳細:厚木神社 | |
祭神 | 健速須佐之男命 ( たけはやすさのおのみこと )
五十猛命 ( いたけるのみこと ) 奇稲田比売命 ( くしいなだひめのみこと ) 予母津事解男命 ( よもつことさかのおのみこと ) 伊弉冉命 ( いざなみのみこと ) 速玉男命 ( はやたまおのみこと ) 大名牟遅命 ( おおなむじのみこと ) | |
由緒 | 旧郷社。
牛頭天王社は厚木村の鎮守で、明治六年熊野神社(旭町)、船喜多神社(松枝)を合祀し厚木神社となった。 牛頭天王社の創始は不詳(天延年間(973〜)に摂政職藤原伊尹(これただ)により怨霊を慰撫するために勧請されたと伝わる。(*)) 境内社 水神宮 石碑があり、厚木下流 水神宮 昭和二十一年九月五日 建設 とあり、相模川漁業会によるものらしい。 厚木稲荷神社 安永六年(1777)伏見稲荷大社の分社を勧請。昭和八年再建。創建時の位置は定かではない。 *:「厚木神社の栞」中丸武夫 (平成26年3月4日追記 社頭の掲示板を転記)
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参拝日 | 平成21年1月3日(土) | |
雑記 | 名前からして厚木市の鎮守かと思ひこんでゐたが、厚木町の鎮守であって、その後近隣の村と合併して厚木町が市制を敷いて市域が広がったと言っても
氏子地域が広がったわけではなかった。平成21年には今まで違ったところ(弁財天社(寿町)、5月)で行はれてきた小江戸厚木祭りが、厚木神社の例祭と同じ時期に合せ、
7月11日に場所を神社前の道路を隔てた西側で開催された。厚木市の行事と一体化されたことから厚木市の神社と認知されさうな気がする。なお、厚木村の総鎮守は船喜多神社であった。
現在の社殿は関東大震災による焼失後に材料の大部分を明治神宮に使用の檜材の余った物の払ひ下げを受け昭和二年に落成したといふ。 相模川を背にして町に向いて(西に向かって)建ってゐる。 (24.09.16追記) 小田急線本厚木駅から北東へ800m程の所にある。相模川右岸堤防のすぐ内側にある。神社前を南北に通る道は嘗てのメインストリートだったが、 今は駅周辺や他の道路沿ひに移り、歩く人は少ない。 平成23年、本殿の中に蜂が巣を作ったため、80年ぶりにご神体を取出し清掃したさうで、ご神体の石が四つあったといひ、四つ目はよく判らないといふ話もあった。 平成23年9月の台風で社殿が損傷を受け修理が行はれてゐる。境内には寄付者の名前が掲げられてゐるが金額は示されていない。他の神社では金額表示は よくあることなのだが。ちなみに、100万円の寄付をされた方がゐらっしゃったといふ。 別当寺だった智音寺は廃寺となったが、元の建物墓地はそのままあって、建物内には祭壇もしつらへてある。神社として登録申請 しようとしてゐるらしい。厚木神社からは南南西へ1.2kmほどの所にある。那須与一宗高が眼病平癒祈願(文治元年 1185)で治ったお礼に建立したと 伝承されてゐる。那須与一の墓と伝へられる石祠と五輪塔がある。 |
平成21年4月7日撮影 | 平成23年11月26日撮影 拝殿内の扁額 | ||
平成23年11月26日撮影 奉納されてゐる昭和二年の棟札写真 | 平成23年11月26日撮影 別当寺であった旧智音寺(智音神社) | ||
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平成26年4月20日20:46撮影 神楽殿全焼、この後はしご車を含め消防車10台超で消火に当った | 平成26年4月20日20:52撮影 神楽殿は崩れ、南側の民家も全焼、22時前にははしご車で岩崎人形店の3Fに放水、鎮火へ | ||
平成27年4月4日撮影 神楽殿のあった位置から撮影 桜が1/3になってゐる | 平成27年4月4日撮影 樹木が少なくなったからか社殿の写真が撮りやすくなってゐる | ||
お札を頂いた際、気づいて、早速いただいた。書置きのみの対応でした。 |
・24.09.16 由緒と雑記を追記、写真3枚追加 ・26.03.04 由緒(枠内)追記、写真2枚追加 ・26.04.20 神楽殿火災を追記 ・27.04.06 神楽殿のあったところから撮影した写真他掲載 ・05.01.07 御朱印画像を追加 |