神社訪問記HP神奈川県秦野市

住吉神社(神奈川県秦野市三廻部)

参拝日 平成29年9月9日(土)
作成日 平成30年2月3日(土)
追記日 令和6年4月17日(水)
よみ  すみよしじんじゃ  
所在地  秦野市三廻部739 (北緯35度23分55.15秒 東経139度9分28.19秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 住吉神社
祭 神  上筒男尊 ( うわつつのおのみこと )
 中筒男尊 ( なかつつのおのみこと )
 底筒男尊 ( そこつつのおのみこと )
由 緒   新編相模国風土記稿(1)に次のやうに載つてゐる。( )内は割注部分。
坂 弥勒寺村ヘノ路次ニアリ。住吉坂ト号セリ(住吉社ノ前ヲ通ス。故ニ名トス。登三町余)
(中略)
住吉社 村ノ鎮守ナリ。例祭九月十七日。村民持。

 神社庁の神社詳細(2)には次のやうに載つてゐる。
 「(中略) 明治中期、上秦野神社に合祀、昭和二十二年十一月三日、地域住民の要望により旧住吉神社に御分霊を分祀し、独立祭祀を行うようになった。」
雑 記  小田急線渋沢駅から北西ないし北北西へ3.5kmのところにある。
 寄神社の北へ0.2km程の所から路を右(東)に三廻部への道を当社まで歩いて来た。明治期の地図にも載つてゐるが、寄神社から南へ約0.5kmの福昌院辺りの路の方が太く描かれてゐる。確かに、寄へ帰つてくる際、土佐原への路との分岐で間違へさうになつた。こんなに細い道だつたか、と。それでも舗装されてゐて、車も何台か通つた。市境辺りでは道路は一本になってゐるが、寄地区にとつては他地域とつながる貴重な路と思ふ。

 境内には次の碑があった、拝殿弊殿完成記念(昭和五十七年)、石段改修工事(昭和六十三年)、本殿完成記念(平成十一年)。

 新編相模国風土記稿(1)には村名について、次のやうに記載してゐる。
 「往古村内ニ釈迦ノ霊像アリ。即釈迦牟尼仏ト書シテ、ミクルヘト訓スル。故村名トナレリト云。活板節用集(慶長中ノ印本)名字門ニ釈迦牟尼仏ト書シ、ミクルヘト傍訓ヲ附ス。サテハ村名モ古クハ釈迦牟尼仏ノ文字ヲ書セシナラン。」

 三廻部(みくるべ)村は、明治22年に菖蒲村、八沢村、柳川村、と合併し足柄上郡上秦野(かみはたの)村となった。上秦野村は昭和30年に西秦野村と合併し西秦野町となり、同町は昭和38年に秦野市に編入された。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4


写真5  拝殿内。奥に沢山の彫刻を施した本殿が見える。


写真6  付近(標高350m)からの眺め。
少し市境寄り(標高380m余)からは江の島も見えた。


出典・脚注
  1. 『新編相模国風土記稿』巻之十七 三廻部村の条 (天保12年(1841)完成、鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.04.17 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。
  • 平成30年2月2日閲覧

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