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金刀比羅神社(神奈川県横浜市南区真金町)

作成日 平成29年2月2日
よみ  ことひらじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成29年2月2日(木)
所在地  横浜市南区真金町1-3 (北緯35度26分12.87秒 東経139度37分42.77秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 金刀比羅神社
祭神  大物主命 ( おおものぬしのみこと )
 崇徳天皇 ( すとくてんのう )
 手力雄命 ( たじからおのみこと )
 日本武尊 ( やまとたけるのみこと )
 天之鳥船命 ( あめのとりふねのみこと )
由緒  神社庁の由緒欄をもとに十分の一程度にまとめた。

 安政六年(1859)四国琴平町の金毘羅大権現を勧請して創建された。鎮座地は、当初港崎遊廓に、慶応二年の大火で類焼し吉原町に遷座、明治五年に高島町に遷座、明治十五年現在地に遷座と移転を繰返した。関東大震災で社殿は焼失し、昭和二十五年再建。
 大鷲神社は明治初年勧請、境内末社として祀られたが、後、相殿に祀られた。
   ・港崎:みよざき
雑記  根岸線関内駅から南西1.0kmの所にある。

 港崎遊郭といへば、岩亀稲荷がかつて在ったところか?。岩亀楼が『豚屋火事』といふ大火で焼失したが、当社(金刀比羅神社)も被災してゐたわけだ。港崎遊郭は、旧地での再建はならず、羽衣町(当時の呼称は吉原遊郭)、次に高島町、そして真金町(永真遊廓)へと移り、昭和二十三年施行の売春防止法により終焉を迎へたといふ(1)

 なお、お三の宮 日枝神社から東側の平地は、明暦二年(1656)から埋立てが始った吉田新田で、日米修好通商条約に基づき開港されたのは、現在の関内あたりで安政五年(1858)。明治になってからも埋立ては続けられ、市街地化が進んだ。

写真



社号標 玉垣に「桂歌丸」さんの名が写ってゐるのに気づいた。
真金町の出身といふ。

脚注
  1.  平成29年8月31日閲覧 関内新聞【歴史探訪】ー横浜公園の地にあった遊廓のその後の足取りを追う (2016年6月18日) 佐野 文彦


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