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厚岸神社 (北海道〈釧路〉厚岸町湾月)

参拝日 令和3年6月1日(火)
作成日 令和4年1月22日(土)
改訂日 令和6年2月20日(火)
よみ  あっけし じんじゃ  
所在地 〈釧路管内〉厚岸郡厚岸町湾月(わんげつ)一丁目 (43度1分54.52秒 144度50分20.65秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 厚岸神社
祭神  天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
 豊受姫神(とようけひめのかみ)
 市杵島命(いつきしまひめのみこと)
由緒  元 郷社
 オープンデータ ジャパンによると次の様(1)
寛政3年(1791)最上徳内が幕府に上書して道東の中心地である厚岸に神社を創立し天照皇大神、豊受姫神を祀り神明宮と称しました。これはアイヌ教化と北辺鎮護の為であって、さらに寛政10年には近藤重蔵が社殿を改修し市杵島姫命を合祀し海上安全を祈りました。この時近藤重蔵が石に刻して建てた碑文及び由来は歴史上公知の事実です。爾来海上安全大漁豊作町内繁栄の守護神として一般の尊崇するところとなりました。文化3年更に社殿を改修し6月15日に祭礼を斎行してました。明治8年より厚岸町の総鎮守とし厚岸神社とし、昭和8年無格社より郷社に昇格し現在は宗教法人に依る神社として公認せられ、毎年7月15日に例祭を斎行しています。
雑記  最寄駅は根室本線厚岸駅で北(4°)へ2.7kmの所にある。厚岸大橋が昭和47年に完成し、それまではフェリーが運航されてゐた。天候や海況によっては運休となるのは想像に難くない。

 由緒に登場の最上徳内(もがみ とくない)と近藤重蔵(こんどう じゅうぞう)は、開拓神社(37柱、北海道神宮境内に鎮座)の祭神。
 最上徳内は、蝦夷草子を書き馬鈴薯を伝へた功労者。近藤重蔵は、千島列島の開発に尽力・石狩平野に開拓の府設置を建言した。


 当社には、8時少し前に着いた。境内に鹿がゐて草を食んでゐる。5m程まで近づいても警戒はされるものの逃げない。
 参拝して帰ってくると、既に鹿はゐなかった。御朱印を戴く際に伺ったところ、飼ってゐる訳では無く、追払はうとして事故が起きてはいけないので放置してゐる、とのこと。
 早い時間だが、御朱印を頂けて有難かった。また、牡蠣島弁財天社の御朱印もあるとのことで頂き、弁財天社を良く見える場所を教へてもらった。
 牡蠣島弁財天社の参拝記は別ページを作成した。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社号標の辺りに鹿が二頭ゐる。

社号標は「郷社厚岸神社」、側面に「海軍中将子爵小笠原長生敬書 昭和八年九月六日」、背面に「厚岸郡厚岸町大字湾月百三十番地鎮座」

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

二の鳥居

軽トラックに一部が隠れてゐるものは手水舎。

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

階段を登った所で撮影。

鳥居は、三の鳥居、奉納は昭和参拾九年七月拾壱日。

狛犬は昭和十一年十月の年記がある。

灯籠は二対あり、鳥居に近い方の一対は「昭和三年御大典記念」とある

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

写真5
写真5 拡大 (1280×960)



写真6
写真6 拡大 (1280×960)



写真7
写真7 拡大 (1280×960)

「近藤重蔵建立碑文」と大意
石碑は、漢文・漢詩が刻まれてゐる。碑背には「平成三年七月吉日 厚岸神社鎮座二百年奉祝祭奉賛会復元之」とある。
隣の掲示は、大意を記してゐる。読下し文ではないのは訝しく思ったが、漢詩の理解には大意が必要なのが、碑文を見ると判った。
碑文の大意
わが国の東方の急所を守る要地、北方の要所の大切な港としては厚岸が第一の重要な港である。これにつぐ港として柄鞆(室蘭)があるが、中間にえりも岬がある。厚岸湾の入口に島があり大黒港といふ。前に入江と岬があり、バラサンといってゐる由なので、私は東山(ハルサン)と名づけた。南は釧路に連なり、西は風廉(フウレン)に及ぶ。北は斜里に達し、東は琵琶瀬に至る地形で、まことにこれは後世まで、東方第一の重要な港である。私、守重(重蔵)は将軍の命を奉じ、東や北のえぞ地を巡察した。四月江戸を発し、五月松前着。食糧や服装を用意し、室蘭、えりもを越え、六月厚岸に寄った。ここで舟を準備し従卒を揃へ、七月海を渡りエトロフに到着。この航海は大変荒れたが神様の御加護を頼み帆走したので安全であった。少人数の旅で野宿もしたが、官命を受けた私共は無事であった。そこで一棟の神社を創建し、北海の地と住民の人心を新たした。かやぶきで、土の階段の質素なおやしろ、その神前でどぶろくの樽から、杯を頂戴した。いささか、住民の耳目の向ふよりどころとし有難い江戸の御成光がここに及ぶことを歓び感ずる次第である。
 大日本寛政十年戌午(1798)十月十日庚子
   江戸幕府将軍の使者である。
      近藤重蔵(藤原守重)


御朱印
御朱印 拡大 (725×960)


出典・脚注
  1. 令和4年1月14日閲覧 オープンデータ ジャパン厚岸神社

改訂記録
  • 令和06.02.20 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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