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帶廣神社(北海道〈十勝〉帯広市)

作成日 平成28年6月10日
追記日 令和2年2月8日
よ み  おびひろ じんじゃ 地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km×南北270km
・当社は + の位置
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.75km の範囲の地図です
・東西 1.13 km×南北 0.75 km、
・本殿の位置に 印 を記入
参拝日  平成27年7月17日(土)
所在地 〈十勝管内〉帯広市東3条南1丁目 (42度55分55.70秒 143度12分31.69秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 帯廣神社
・Wikipedia:帯廣神社
・当社HP
祭神  大國魂神(おおくにたまのかみ)
 大那牟遲神(おおなむちのかみ)
 少彦名神(すくなひこなのかみ)
由 緒  元県社、別表神社
 社頭には次のやうに掲示されてゐる
帶廣神社

祭 神
 大國魂神(おおくにたまのかみ) 北海道の国土の神
 大那牟遲神(おおなむちのかみ) 国土経営開拓の神
 少彦名神(すくなひこなのかみ) 国土経営医薬酒造の神

例 祭
九月二十四日
九月二十四・二十五日 神幸

由 緒
明治四十三年この地に仮殿を御造営 札幌神社(現北海道神宮)より神霊を請けて鎮座された
昭和四年県社に昇格し昭和五十一年別表神社に加列された
郷土の安全発展と諸災難除けの守護神として広く崇敬されている
 北海道神社庁誌には次のやうに載ってゐる(1)
由緒 明治十八年静岡県松崎出身の依田勉三らが晩成社を組織してオベリベリ(帯広)に入植し、同十八年より祭礼(天王祭)を営んだのが帯廣神社の創祀である。明治四十二年に社殿造営の議起り、町内会議の上で現在地に新に神社を創立することを決定した。翌明治四十三年に仮殿を造営し、同年九月二十四日、札幌神社(現在の北海道神宮)より御霊代を鎮斎。爾来当社例祭日を九月二十四日とした。翌四十四年、無格社。大正七年に郷社、昭和五年九月には県社に昇格。昭和十一年、天皇陛下行幸の際、御使御差遣せられ、幣帛料を賜わる。昭和三十五年、御鎮座五十周年を記念祭斎行。昭和五十一年七月には別表神社加列・御鎮座七十周年の記念事業として、帯廣神社御造営奉賛会が設立され、昭和五十四年に新社殿他が造営され、翌昭和五十五年には社務所を改築し、同年九月に奉祝祭を斎行した。
雑 記  JR根室本線の帯広駅から北北東へ1.5kmのところにある。

 帯広市は十勝支庁の……と考へてゐたら、支庁ではなく総合振興局なのだといふ。平成24年4月からのことといふが、振興局と開発局と何が違ふか素人には判らない。網走支庁は、植民地になったかと思ふくらいのことしかない(ロシアの地名オホーツクを使ってゐるため)。
 帯広市は、静岡県出身の依田勉三(開拓神社の祭神37柱の一つ)率いる晩成社が明治16年(1883)に入植し 「後に祠も建造されたようですが、帯廣神社との繋がりがはよく解っていません」といふ。入植前の帯広はアイヌが10戸程と和人が1戸あるのみだった、といふ。

 観光で訪れた際、参拝した。
 観光は二泊三日。初日は野付半島で国後島を見たりしたあと別海町尾岱沼泊、二日目は摩周湖を経てオンネトー湖畔に立寄り、螺湾(らわん)蕗に触れ、十勝川温泉泊。翌朝、当社と護国神社参拝。その後、帯広市内の「クランベリー」「六花亭」、隣の芽室で「まさおか」によって、昼食もとらず菓子ばっかり食し、さらに夕張市鹿の谷の「うさぎや」にも寄らうとしたが、時間が無く断念(その後、うさぎやのシナモンドーナッツは千歳空港で入手できた)。無事目的地に着いた。

写 真





出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.655

改訂記録
  • 01.06.30 北海道神社庁北海道の神社URL更新
  • 02.02.08 地図追加、由緒欄に神社庁誌からの引用を追加、雑記欄の観光の所を加筆


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