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曽屋神社(神奈川県秦野市曽屋)

作成日 平成29年1月29日
よみ  そやじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年6月3日(金)
所在地  秦野市曽屋1-6-10 (北緯35度22分46.45秒 東経139度13分13.49秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 曽屋神社  当社HP
祭神  水波能売命 ( みずはのめのみこと )
 御井神 ( みいのかみ )
 伊弉那美命 ( いざなみのみこと )
 誉田別命 ( ほむだわけのみこと )
 事代主命 ( ことしろぬしのみこと )
 加茂別雷命 ( かものわけいかずちのみこと )
 菊理比売命 ( くくりひめのみこと )
由緒  旧郷社。
新編相模国風土記稿巻之五十二の曽屋村の条に次のやうに載ってゐる。
清水二 一ハ、北方井明神ノ社傍ヨリ出ヅ。一ハ、同辺字堤ヨリ出。(何レモ幅二尺)
井明神社 祭神詳ナラズ。神体石二顆ヲ置。例祭九月九日。天正十九年、社領三石五斗ノ御朱印ヲ賜ハリシガ、寛永二年紛失ス。其後慶安二年成瀬五郎左衛門重治、県令タリシ時、再賜ラン事ヲ願ヒシガ、賜ラズシテ、永ク除地トセラル。老杉(囲一丈二尺余)ヲ神木トス。弊殿拝殿神楽殿建リ。
末社 稲荷 浅間 毘沙門 三峰


神奈川神社庁の当社の頁、当社HP、境内の石碑によると次のやう(抜粋)。
・創建は天長年間(1160余年前)。記録散逸のため詳細不明。
・明治六年、井之明神社(井之宮さん)に、上乳牛鎮座の加羅古神社、下乳牛鎮座の八幡神社、才ヶ分鎮座の熊野神社、山谷鎮座の加茂神社、中野鎮座の白山神社、御門鎮座の牛頭天王社(現在は分祀)を合祀し『曾屋神社』と改称。
・境内の井之明神社は、昭和40年頃に埋められた湧水口を探し当て、平成16年に本社の御分霊をお祀りしたもの。
・平成御大典記念碑(平成3年)によると「井之明神新築・境内整備」(二の鳥居、天水受け、石玉垣、石灯籠他の奉納)がされてゐる。

よみ 乳牛:ちゅうし
雑記  小田急線秦野駅から北北西へ1.2kmのところにある。
 お参り後、一通り見学して御朱印を頂いた。宮司さんに、訪れてゐなかった井之明神社の事を案内された。点睛を欠くところだった。

井之明神社のところには案内板があり、次のやうに記されてゐる。
「井之明神水」いのみょうじんすい
曽屋神社は、古くは「井大明神」「井之明神社」(いのみょうじんしゃ)と称して来ました。名のとおり、「井」すなわち「水」の湧き出る宮でありました。
この地に先人たちが暮らし始め、豊に湧き出る「水」に感謝し、水神をおまつりしたのが創始であります。
現在の地名「曽屋」は、古くは「州谷」であったとされ、神社の南方を流れる水無川と北方を流れる葛葉川に挟まれる形で位置しています。そのような地にあって、生活用水を求め井戸を掘っても、良い水に恵まれない土地であったそうです。伝えるところ、江戸期には、氏子が井戸を掘ったため井之大明神の怒りに触れ、疫病が流行してしまい、氏子たちは「正一位」の神位を井之大明神に授けて頂き、その怒りを鎮め、その後は神社で湧き出る水だけを使ったそうです。
神社の湧水を源として、江戸期から明治期に至って、氏子たちは苦労を重ね水道網を整備していきました。明治三十五年、水道事業として横浜・函館に次いで、全国で三番目となる「曽屋区水道」が完成しました。(詳細『秦野水道百年史』秦野市水道局発行)
全国名水百選「秦野盆地湧水群」の一つであり、平成十六年、現在の形に再整備しました。水温は、年間を通じ十七度を保ち、春秋に豊かで清冽な恵みを頂いております。
当社の南側の道路を隔てた所に秦野市水道局曽屋配水場がありその一角に曽屋上水道記念碑(昭和十一年,碑文はこちら)と「曽屋水道の創設」説明板がある。

 境内には稲荷社の他に護国神社がある。


境内社 井の宮正一位福徳稲荷

井之明神社


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