由緒
元 無格社
『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)。
由緒沿革 弘化四年(1847)春正月社殿再建の砌、名主 和三郎が記した勧進状によれば、「……山城国飯成山に鎮座まします御神を承久年中、執権職武蔵守泰時の代、是所に勧請奉る。五穀成就、国家安全を祈り奉る……」とあり、『相模風土記』には、「山神、山王を合祀する」と見える。
昔、台本村の火の見のそばに地蔵堂があり、室町時代頃の作と思われる地蔵菩薩が二体安置されていた。これは当社の本地仏であろうとする説もあるが確証に欠ける。今はお堂もなく台町の所有となっている。この中の一体(半跏像)が市指定文化財となっている。
元無格社で台上区の氏神である。
境内には再建当時の手水鉢(弘化四年・1847)、庚申供養塔(享保二十年・1735)、句碑(露ふんで行くや鎮守の朝詣 大正七年・漱石亭老人)などがある。
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『新編相模国 武蔵 風土記稿』には次の様に載ってゐる(2)。
| 雑記
| 最寄駅はJR横須賀線北鎌倉駅で、東へ0.6km余の所にある。
由緒沿革にある「山城国飯成山に鎮座まします御神を承久年中」に勧請とあるが、飯成は稲荷で、伏見稲荷神社のことかと思ふ。ただ、その文言は勧請状にあると云ふので、信憑性に劣るやうだが、承久年中(1219〜1222)に勧請とは鎌倉幕府成立後の事なので正しいのかも知れない。
本日の神社巡りは、当社で終了。昨年10月以来の神社巡りだった。
鎌倉駅から北鎌倉駅前をへて当社まで歩いてきたが、巽神社・八坂大神辺りは人通りが多く観光地然としてゐたが、第六天社では道路を行交ふ車が多く、当社(稲荷神社)では歩く人影も無かった。これも鎌倉かと思った次第。
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