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稲荷神社 (神奈川県鎌倉市台)

参拝日 令和5年2月8日(水)
作成日 令和5年12月21日(木)
よみ  いなりじんじゃ
概要  当社(稲荷神社)は、鎌倉市台に鎮座する。承久年中に(1219〜1222)に勧請とも云はれる。台上区の氏神である。  
所在地  鎌倉市台 1795
 北緯 35度20分12.71秒
 東経139度32分18.00秒
  地理院地図(ズームレベル15)
  グーグルマップ(ズームレベル14)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
  
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 稲荷神社
祭神  受気母知命(うけもちのみこと)
由緒  元 無格社

 『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 弘化四年(1847)春正月社殿再建の砌、名主 和三郎が記した勧進状によれば、「……山城国飯成山に鎮座まします御神を承久年中、執権職武蔵守泰時の代、是所に勧請奉る。五穀成就、国家安全を祈り奉る……」とあり、『相模風土記』には、「山神、山王を合祀する」と見える。
 昔、台本村の火の見のそばに地蔵堂があり、室町時代頃の作と思われる地蔵菩薩が二体安置されていた。これは当社の本地仏であろうとする説もあるが確証に欠ける。今はお堂もなく台町の所有となっている。この中の一体(半跏像)が市指定文化財となっている。
 元無格社で台上区の氏神である。
 境内には再建当時の手水鉢(弘化四年・1847)、庚申供養塔(享保二十年・1735)、句碑(露ふんで行くや鎮守の朝詣 大正七年・漱石亭老人)などがある。

 『新編相模国 武蔵 風土記稿』には次の様に載ってゐる(2)
稲荷社 山神山王ヲ合祀ス。村持。下同。
雑記  最寄駅はJR横須賀線北鎌倉駅で、東へ0.6km余の所にある。 

 由緒沿革にある「山城国飯成山に鎮座まします御神を承久年中」に勧請とあるが、飯成は稲荷で、伏見稲荷神社のことかと思ふ。ただ、その文言は勧請状にあると云ふので、信憑性に劣るやうだが、承久年中(1219〜1222)に勧請とは鎌倉幕府成立後の事なので正しいのかも知れない。

 本日の神社巡りは、当社で終了。昨年10月以来の神社巡りだった。
 鎌倉駅から北鎌倉駅前をへて当社まで歩いてきたが、巽神社八坂大神辺りは人通りが多く観光地然としてゐたが、第六天社では道路を行交ふ車が多く、当社(稲荷神社)では歩く人影も無かった。これも鎌倉かと思った次第。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 参道入口
 長い階段の先に鳥居(写真2参照)が見える

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 階段踊場に鳥居がある

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 境内(パノラマ撮影)

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿 正面。北東向き

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿 斜め前

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 社殿 側面

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 拝殿内

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 拝殿前からの眺め
 参道の階段は右手(写真9参照)

写真9 写真9 拡大 (1280×960)
 参道


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.195-196
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻の九十八 台村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.01.18 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)
  • 〃     24 再修正


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