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御霊社 (横浜市栄区田谷町)

参拝日 令和4年4月8日(金)
作成日 令和5年3月20日(月)
よみ  ごれいしゃ
概要  横浜市栄区田谷町に鎮座する。祭神鎌倉権五郎景政は平安時代後期の武士で鎌倉を開発した。当社はの村岡御霊宮(藤沢市宮前)から分祠された十三社の一つ。江戸後期は鎌倉郡山之内庄田谷村の鎮守だった。  
所在地  横浜市栄区田谷町1506
  北緯 35度22分7.96秒
  東経139度31分18.85秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 御霊神社
祭神  鎌倉権五郎景政様 ( かまくらごんごろうかげまささま )
由緒  元 村社
境内に石碑等の形で由緒の掲示は無かった。一方、拝殿前には、「田谷御霊社のしおり」(A4版2ページ、令和4年4月作成)が置かれてゐて頂いてきた。
縁起
 桓武天皇の曽孫高望王の五男平良文が東国平定に際して関東に至り、今の藤沢市官前の村岡に居を構え、京極御霊官を勧請して村岡御霊宮を祀ったと伝えられています。
 良文の玄孫村岡景政の時、村岡御霊宮は関東平氏五家(鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏)の始祖を祀るようになり、鎌倉時代になると執権北条時頼の命により村岡御霊宮に景政 (鎌倉権五郎景政)を合祀し、祭神としました。
 村岡御霊宮は後に十三社に分霊、勧請されて周囲の郷の五霊神社、御霊神社として祀られました。田谷御霊社はその一つで、鎌倉時代からこの地で祭祀されてきました。
祭礼
 9月の第2土曜日(宵官)、第2日曜日(本官)
 (かつては鎌倉権五郎景政の命日の前日の9月17日を本宮としていましたが、時勢に合わせて9月の第2土曜日と第2日曜日に変更となりました。)

『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創立年代は詳かでないが、遠く源義家の家臣として勇猛の聞えの高かった鎌倉権五郎景政公の霊力を慕い、鎌倉幕府の鬼門の方角に当る当田谷郷に其の頃社殿を建立し、以って使臣を遣わし参拝奉賽せしめたものである。
 天保五年に社殿再建の棟札が現存して居り、隣接定泉寺と共に古くより現在の地に鎮座し、田谷町民の崇敬社となっていた。

『新編相模国風土記稿』には次の様に載ってゐる(2)
御霊社 村ノ鎮守トス。例祭十一月十七日。熊野、稲荷を合祀ス。定泉寺持。
雑記  最寄駅は東海道線大船駅で南南東(115度)へ1.9kmのところにある。

圏央道の延伸部分の横浜環状南線・横浜湘南道路が工事中で「栄IC・JCT」が直ぐ近くにできる。物流は大いに便利になる。ただ、神社の目の前に高架道路が出来て眺め悪化は無論、騒音発生も間違ひない。開通は2020年度開通との話もあったが、後、2025年度に延期となり、現在は開通時期の見通しは示されてゐない。一時はシールドマシンの故障や支障物に当るで掘削工事が2年近くの間停まってゐたこと、また、人家近く安全や環境保全への高度な配慮が必要なためらしい(3)

「田谷御霊社のしおり」には鎌倉周辺の主な御霊神社。(「元々は鎌倉権五郎景政を祭神としていましたが、現在では祭神が替わって御霊神社と称さない神社を除きます。」)として次の十社を挙げてゐる。
田谷御霊社 横浜市栄区田谷町 1506番地 現在、田谷では圏央道の栄ジャンクション建設工事および横浜・藤沢道路建設工事が進行中(令和 25年開通予定)。
村岡御霊神社 藤沢市官前 560(江ノ電バス村岡宮前下車、モノレール深沢駅、徒歩 14分)
川名御霊神社 藤沢市川名 656 (JR藤沢駅から徒歩 20分)
坂ノ下御霊神社 鎌倉市坂ノ下 4-9(江ノ島鎌倉電鉄長谷駅下車、徒歩 5分)
梶原御霊神社 鎌倉市梶原 1-12-27(湘南モノレール湘南深沢駅下車、徒歩 4分)
長尾御霊神社 横浜市栄区長尾台町372(神奈中バス・官の前下車)
公田御霊神社 横浜市栄区公田町445-6(JR本郷台駅下車、徒歩約 16分)
汲沢御霊神社 横浜市戸塚区汲沢町1273 (JR戸塚駅下車、バス10分五霊神社下車)
深谷御霊神社 横浜市戸塚区深谷町1026(JR戸塚駅下車バス 10分 御霊神社前下車)
中田御霊神社 横浜市泉区中田北3-42-1(市営地下鉄中国駅下車)

本日の神社巡りは当社で終了。バスを何回も乗り楽をしたが、その分、八社も巡り、結局は疲れた。次回の訪問記掲載は6月に巡った北海道の神社。神奈川県内の神社訪問記掲載は秋口になりそう。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 鳥居は大正十二年二月の年記がある。
 鳥居に向って右に社号標「村社 御霊社」がある。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 二ノ鳥居
 二本の大木がある。向って右側は欅で樹齢340年、目通周は 3.4mで市の名木古木に指定されてゐる。左側は銀杏。
 欅樹の下の方、鳥居に向って右方には、凱旋記念碑・忠魂碑がある(写真9参照)。
 灯籠は明治三十年四月奉納

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿正面
 狛犬は大正十二年四月の奉納

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 斜め前から見た社殿

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 拝殿内
 多くの額が掲げられてゐる。
 正面は教育勅語、その隣は五霊社上棟式記念写真(大正12年)
 左右の壁上の額は、大東亜戦争での戦没者とみられる。(忠霊碑の戦没者名との一致があった故)

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 覆屋内の御本殿
 「田谷御霊社のしおり」には次の様に記されてゐる。
社殿の中宮は、天保 5年 (1835年)に改建された総欅材の精緻を尽くした社殿造りの貴重な建物です。


写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 社殿前からの眺め。工事のクレーンがみえる。
 

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 社殿の左側にある。向って右は「天照皇大神」、左は「日吉社」
 「田谷御霊社のしおり」によると、
  社殿の傍らに祀る天照大神と日吉神社の祠は、大正 12年村社昇格の際に合祀されました。      
と云う。

写真9 写真9 拡大 (1280×960)
 向って右は「忠霊碑」で背面には19名の住所と氏名が刻まれてゐる。田谷町建設、昭和四十二年三月吉日。
 向って左は「明治参拾七八年戦役 凱旋記念碑」で碑背には出征軍人として十一名の階級・勲等・氏名が刻まれてゐる。明治四十年九月十七日建設。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.87
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之百二 田谷村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)
  3. 令和5年3月20日閲覧 国土交通省関東地方整備局・東日本高速道路(株) 神奈川圏央道連絡調整会議(第3回)開催結果について 令和4年8月5日 

改訂記録
  • 令和06.02.03 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)

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